
モヤモヤして仕事にならないので、
思い切って書いてしまった。
「癌」と「感情」の話の続き。
今日はまず、
自分自身の経験から書いていく。
(今回のエントリーはヘビーです。
気分の安定しいてる時に読むことをお勧めします)
★ ★ ★ ★ ★
漫画家になる少し前、
父親が肺癌を患って死んだ。
発見された時、父の癌は
ステージ4のBという段階に達していた。
末期癌である。
もって半年、と親族告知で医者に言われた。
父はタバコもアルコールもやらなかった。
特にタバコは、匂いがしただけで
顔をしかめるくらいに嫌っていた。
なのに、肺癌になってしまった。
医者に見せられた肺のレントゲン写真には、
小さな癌がビッシリと芽を吹いているのが写っていた。
癌の原因を特定することは、
ついに医者にはできなかった。
父親の職場が化学工場であったため、
多量の粉塵を吸い込んだことはなかったか、
と何度も訊かれた。
アスベストなどの発ガン性物資による発病を、
医者は疑ったのである。
確かに若い頃、そういう現場で働いたことはあったけれども、
それは本当に短い期間だったと母は言った。
(もちろん防塵マスクを使用していた)
キャリアのほとんどを
検査部(研究室)で過ごしてきたことを考えると、
発ガン性物質を吸入したことで癌が発症したとは
どうしても考えられなかった。
原因が不明のまま、
抗ガン剤による治療が始まった。
母のたっての願いで、父は告知されなかった。
知らないままで入院し、
抗ガン剤とアヘンを交互に体に入れられた。
症状は(もちろん)改善されずに、悪化した。
父は苦痛と吐き気に苦しみ、どんどん衰弱していった。

父が死ぬ一週間程前、
夜の回診にやってきた医師に、思いきって俺は言った。
「麻薬の量を増やして下さい。もう楽にしてやってほしい」
医者は断った。長々と何か理由を言われた。
耳に入らなかった。腹の底が熱かった。
「麻薬もっと増やせよ!」
怒鳴った。医者も声を荒げた。
「できない!」
(父親の担当医は、
小学校の時転校していった俺の同級生だった。
お互いに相手のことは覚えていたけれど、
医者と患者の親族、という関係の中で、
面はゆさを感じながら、ずっと敬語で通してきた。
ガチンコで話せたのは、この時だけだ)

父が死んだ後、
医者は父の肺をサンプルに欲しがった。
珍しい発症例だったので、解剖して肺を研究したい、
どうか協力して欲しい、と言われた。
断った。父は絶対に嫌がると思ったからだ。
父方の血筋に癌になった人間が多めだったため、
父が癌になったのは「遺伝」だったんだろう、
ということで、大方の親族は納得していた。
理不尽な想いが胸の隅に張りついて残った。
葬式の後、静かになった家の中で
父の遺影と向き合いつつ、
「50代半ばで俺も癌になるかもしれないな」
そう、ボンヤリ考えていた。
自分の背中に何かの順番が
刻み込まれたような気がした。
後悔しない生き方をしないといけない。
覚悟、ではなく、腹の底に残る怒りから
(仕返しするような気持ちで)
そう思った。
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もちろん10年以上たって、
俺の気持ちもずいぶん変わった。
刹那的なもの、暗い塊のようなものが
胸の中から外れて落ちた。
(もしかするとそれはみんな
漫画になってしまったかもしれない
)
走らなきゃ、と追い立てられるようだった気持ちも、
結婚を境に落ちついた。
父が死んだ年齢を越えて何十年も生きるつもりだし、
描けるだけ作品を描き続けながら、
妻や子供や親族や猫たちと沢山の時間を過ごすつもりだ。
(この三つが実現すれば、後悔はまず無いだろう)
気負うことなく、今は自然にそう思える。
「遺伝の呪縛」を振り切ることができたのは、
ここ数年間で「病」というものに関する認識が
劇的に変わってしまったから。
タバコも吸わず酒も飲まなかった父が
どうして癌に冒されたのか、
自分なりに納得のいく答えを
見つけることができたからだ。
もし、病気と感情の関係に気づかなければ、
10年後、おそらく俺も、癌になっていたと思う。
でも、その未来に通じる道からは、
少し前に離れたように思う。
そうだという強い確信が、自分の中にしっかりとある。
ストレスが胃ガンを作る。
酒の飲み過ぎが肝臓癌や腎臓癌を発生させる。
煙草の吸いすぎが肺癌の原因である。
それは間違いないと思うけれど、
そうさせる原因は
心に蓄積された未消化の感情の塊だ。
暴飲暴食するのも、
中毒になるまで酒を飲むのも、
咳が止まらなくなるまで煙草を吸うのも、
そうすることで、
身の内に溜まって行き場をなくした強い感情を
「成仏」させてやるためである。

怒り、悲しみ、焦り、苦しみ、無力感、劣等感、欠乏感、
そういう自分の中にあるネガティブな感情の塊と、
同じエネルギー量を持つ何かを
人間は体の中に取り込み、バランスを取ろうとする。
ネガティブであろうと、エネルギーはエネルギー。
使わなければ、それは直接、肉体組織にダメージを与える。
だから人は、
溜まった怒りを晴らして散らすために酒を飲み、
悲しい気持ちや焦りを押さえ
落ち着かせるために煙草を吸い、
飢えた愛情を手早く満たすためにバカ食いする。
そして、どこかの段階で、因果関係が逆転し、
酒を飲まなければ怒りを発散できなくなり、
煙草を吸わなければイライラハラハラするようになり、
食べ続けていなければ依存心を満足させることが
できなくなる。
こうして生活習慣病は、多かれ少なかれ、
個々人の人生に影響力を持つようになる。
西洋医学は対処療法しかしないので、
「ダイエットしなさい」「禁煙しなさい」「禁酒しなさい」
と言うだけで、そういうバランスの崩れを作った
「感情」のありかを見つめない。

(西洋医学は死体解剖から始まった学問で、
人間の体を物質レベルでしか考えない。
さらに、西洋医学が進歩した理由は
先の二つの世界大戦にあると、俺は思っている。
戦闘で腕がもげたり、足がちぎれたり、
顔や頭が裂けてしまったような人達から
「応急処置で」痛みを取り去り、生命を繋ぐ。
延々と繰り返されたその行為と、
そこで得られた実績やデータが
対処療法信仰を生んだのだと俺は思う。
数分後に死ぬかも知れない人を助ける時に
その人が抱えている心の問題について
考えてるヒマなんかなかったのである。
なので、今日の癌を中心とする
大病に対する医学の姿勢は、
戦争という非日常の中で培われた理念を
ムリクリに押し通した偏ったものだ。
抗ガン剤の素になったのが
第一次大戦時に開発された化学兵器である
イペリットガス(マスタードガス)である、
というのは、あまりにも有名な事実である)

だから「ダイエット」「禁煙」「禁酒」に成功した人は、
必ずリバウンドに苦しめられる。
いまだ処理されていない感情のエネルギーに
内臓や神経を直撃されて、
数倍のストレスを抱え込むから、
「バカ食い」「バカ吸い」「バカ飲み」をする。
まさに負のスパイラルだ。
そしてある日、
金属疲労が重なったバイクのフレームが
突然バキンとへし折れるように、
心臓発作を起こし、脳梗塞を起こし、癌の激痛に襲われる。


医者も含めて、現代の人間は
自分の心の動きに無関心で無頓着だ。
プログラムされたロボットのように、
自動的に煙草に火を点け、ビールのプルトップを引き、
コンビニ弁当のビニールを破る。
本当に喰いたいのか?
本当に飲みたいのか?
本当に吸いたいのか?
今やってることとは別のことを、
本当は求めているんじゃないのか?
かつて俺自身、
自分に無関心な人間だった。
足繁くバーに通い、
浴びるように酒を飲んでいたのは
酒が飲みたかったからじゃなかった。
一日20本近く煙草を吸っていたのは、
煙草を吸いたいからじゃなかった。
癌で死んだ父と自分の未来をダブらせて
かつてあんなにも色んなことを考えたはずなのに、
体を破壊する行為に歯止めがきかなかったのは、
心に報われていない感情が
どっさり溜まっていたからだ。
そのエネルギーの塊と、肉体のバランスを取るために
(手っ取り早く「仮の満足」を手に入れるために)
飲んで吸って遊び歩いて
自分の命を削りながら、貴重な時間を浪費していた。
自覚していないモノに、
人は操られてしまう、ということは
過去のエントリーのどこかで書いた。
俺たちは、膨大な量の感情エネルギーを
体の中に溜め込んでいて、
そのことにまったく気づいていない。
そして抑圧された無意識が、
臓器を使ってサインを出すと、
目に見えるもののみ見るように
洗脳された医者の所へ行き、
かつて化学兵器だった毒薬を
金を払って投与してもらう。
(薬は基本的には自然界に存在しない人工物、
化学物質であり、ゆえにすべての薬品は
生体にとって毒物である)
誰も彼も自分自身に、
ゾッとするほど無関心だ。
★ ★ ★ ★ ★

陰陽五行(木火土金水)の思想を重んじる
東洋医学(中国医学)によると、
体内の臓器は五種類の感情(陰陽に分けると十種類)を、
それぞれに司っているという。

①木
肝臓(陰)→ 怒り(執着心、無力感、不寛容さ、消極性)
胆嚢(陽)→ 怒り(攻撃的、横暴、傲慢、暴君的)
②火
心臓/循環器/生殖器(陰)→ 喜び(身勝手、冷酷)
小腸(陽)→ 喜び(興奮、過敏、躁病的)
③土
脾臓(陰)→ 保護(動揺しやすい、愛情に対する飢餓)
胃(陽) → 保護(過保護、心配性、お節介)
④金
肺(陰) → 悲しみ(他者不信、自己不信、過敏、粘着質)
大腸(陽) → 苦悩、悲しみ(詮索癖、独善的、完璧主義)
⑤水
腎臓(陰) → 恐怖(無気力、孤立、シニカル、被害妄想)
膀胱(陽) → 恐怖(頑固、独善的、懐疑的、優柔不断)
過剰な状態を「陽」、不足の状態を「陰」とする。
例えば、傲慢さや攻撃心が心の中で強くなると、
「木」の「陽」、
つまり「胆嚢」に影響が出てくる、ということ。
ウソ臭く聞こえるかも知れないけれど、
例えば攻撃心が強くて傲慢で
そういう自分を「良い」「好きだ」と
思っている人がいたとして、
その人が菜食主義者である確率はとても低いと俺は思う。
やっぱり肉や油物をガンガン食べてるような気がする。
動物性の脂分が体内で過剰になると、
それを分解する胆汁を作っている胆嚢の中に
分解し切れなかった脂が残って蓄積し、
結果それが胆石になる。
こう考えていくと、
陰陽五行を感情と内臓に当てはめる考え方は
なかなかに真理を突いていると思う。
(西洋医学に不信感を持っているから、
東洋医学に全幅の信頼を寄せている、
というわけではない。
中国医術を施す医者にも、胡散臭い人物は沢山いる。
ただ、東洋医学が死体ではなく、生体を考えることで
発展してきた医術である、という根本の部分は
間違っていないと強く思う)
★ ★ ★ ★ ★
父は、ほとんど笑わない男だった。
大口を開けて「ガハハ」と笑った顔なんて、
たぶん一度も見たことがない。
加えて口数も少なかった。
(俺は「ガハハ」と笑うし、よく喋る。
きっと母方の血なんだろう)
小さい頃、吃音がひどくて、
それで自然と無口になった、と
母を通して聞いた気がする。
怒ると怖い父だった。
会社の同僚や友人が見たら
ビックリするほどの激情家が、
父の中には棲んでいたのだ。
幼い頃、父は孤独だった。
親がいなかった。
親戚の中で育った。
(吃音はここで出たのだろう)
経済的なプレッシャーの中で十代を過ごし、
国立大学への推薦状を自分の手で破り捨て
町の化学工場に就職した。
子供の頃の父の写真の一枚に、
笑っている親戚の家族の後ろの隅で、
ぽつんと一人立ち、
レンズを見つめているものがある。
この幼い子供が、どんな感情を抱え、
何を押し殺してそこにいるのか
想像するに難くない。
癌を患って迎える人生の終わりを、
この時、この子は、まだ知らない。
東洋医学では上記のように、
肺には陰の金気が溜まる、とされている。
陰の金気とは、
「深い悲しみ」「自己不信」「他者不信」とある。
一言で言うと「孤独」だろう。

煙草を吸わず、
粉塵を大量に吸い込むような職場環境にも無かった父が
どうして肺癌になったのか、
「感情」というキーワードを使うと、
答えが見えてくるように思う。
「孤独」な感情は胸に溜まる。
それをまぎらわすために、人は煙草を吸うように思う。
(心理学的に煙草は、母親の乳首、おしゃぶりである)
吸えば煙で気管を焼き、重金属で肺胞を潰して
肺癌を発症する。
では、吸わなければ癌にはならないのか?
極論的には関係ない、と俺は思う。
たとえ煙草を吸わなくても、
「孤独」な感情を胸に抱えて、
それを抑圧し、押し殺している限り、
肺の受けるダメージは同等だろうと思うのである。
さみしいんだ、と泣く。
さみしかったんだね、と誰かに抱きしめてもらう。
わかってもらう。受け入れてもらう。認めてもらう。
そういうやりとりを経ずして、感情の塊は成仏しない。
何年、何十年と、いつまでもそこにあり続ける。
(友達や恋人や夫婦の間で、理不尽な感情をぶつけあって
思い切りケンカすることで消える感情もあるかもしれない。
しかし、
相手がわかってほしがっている感情を受け入れず、
押しつけ、押し返すばかりのやり取りであれば、
ストレスは溜まる一方だろう。
発散できるケンカとできないケンカがある、
ということなのではないだろうか。
わめき散らしたり暴れたりしても
全然気持ちが収まらないのは、
「認めてもらっていない」「理解されていない」
という、やるせない気持ちがあるからだと思う。

他者と繋がる、
わかってもらっている、という感覚。
自分の中にたまっている感情の塊
(幼い頃、若い頃から抱き続け、
長い間口に出すことが叶わず
トラウマになっているようなもの)
を、吐き出した時、
真正面から受け止めてくれ
認めてもらえる相手を持つ。
それが病(特に癌)を退ける
「特効薬」だと俺は思う。
(「理解されている」「認められている」
「必要とされている」と思うことで、
人間の抗体システムは
格段に強化されるそうである。
以前のエントリー『枝の上の猿』にも
深く通じる話だと思う)
「蟹の鋏」は、癌ではない。
自分の中で無視されたまま溜まり続けた感情だ。
感情には鋏がある。
それは臓器を苛み、刻む。
「孤独」という鋏を持った蟹が
父の肺にたくさんの癌の卵を産みつけた。
父は長い長い間、我慢して生きてきた人だと思う。
辛い気持ちを押し殺してきた人だと思う。
人はそれを強いと言うかもしれない。
偉いというかもしれない。
でも、強い人間なんて、この世にはいない。
無理しているのだ。
堪えているのだ。
たとえ、どこかの誰かに褒められたとしても、
押し殺してきた辛い気持ちは、
その人の中からは去ってはくれない。
それは無意識の水面下で蟹となり、
その人の体を食べてしまう。
我慢する。
怒りをのみ込む。
孤独に耐える。
泣かない。
頑張る。
この手のストイックさはすべて、
生体が生きていくことにおいては「毒」である。
こんな体に悪いスタイルを
社会から植え付けらていることに気づかず
昭和の男達は我慢し、飲み込み、泣かずに頑張り、
その感情を補填するために飲んで食べて吸いまくった。
そしてその結果、癌を患い、バタバタと死んでいった。
(平成の女たちは、まったく逆で
「怒れ」「泣け」「堪えるな」
「感情のままに欲望のままに衝動のままに生きるが美徳」
「我慢しないで欲しいモノは欲しいといって手に入れろ」
というスタイルを社会から押しつけられ
お金の通り道にされてしまった。
結果、逆説的にオヤジ化し、
どんどん荒んで孤独になってる)

生きることは循環だ。
入ってきたものは出すこと。
吐き出して表現すること。
どんなに認めがたいことであったとしても、
自分自身の心の動きを
丸ごと受け止め認めてやること。
人は他人の心の中にあることを知らずとも
不幸になることはほとんどない。
だが、自分の心の動きを知らぬ者は
必ずや不幸に陥る
(M.A.A)
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倉本聰のドラマ「風のガーデン」で、
中井貴一演ずる末期癌を患う麻酔科医は、
10年に渡る家族との確執を乗り越え、
一家に痼っていた負の感情の塊を
再び結びつくための絆に変えて
感動のラストを迎えようとしている。
しかし
本当はそんなこと、
元気なうちにやるべきなのだ。
ハッと気がついたその時に
人は抑圧された感情と向き合い、
外に吐き出し、表現して、
誰かに伝えなければならない。
分かって欲しい人、認めて欲しい人、
そしてそう願う自分自身が、
蟹に無惨に喰い殺されて
いなくなってからでは遅いのである。

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