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2009年1月30日 (金)

お金の本質、愛の本質



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唐突に、毛色の違うエントリー。
今回は、ある特定の個人に向けて書いた
メモ書きである。
読んで意味が分からなくっても、
どうか御容赦いただきたい。

______________________________


お金は感情と直結している。
もっと言えば、


お金と感情はよく似ている。


お金の本質を「道具」という人もいるが、
それは違うと俺は思う。
「道具」という感覚は、
お金が人の手から手に渡るときに
もっとも表面的、
かつ、まぎらわしく現れてくる
「見かけ」にすぎない。


「道具」は、手や足の延長となって、
人間が生きていくために役立つもの、
使えるものを産み出してくれる。


お金は何も産み出さない。
ただ「交換する」だけである。
多くの人は、そこを錯覚していると思う。
(たったひとつだけ、
 お金が産み出すものがあった。
 お金、である(笑))


では、お金の本質とは、一体何か?


「フェイク(擬態)」だと、俺は思う。


  ★  ★  ★  ★  ★


お金は、扱う人間の感情を
とても大きく左右する。
沢山持っていれば気持ちが満たされ、
強い安定感を得ることができる。
多くを失えば、とても不安になり
将来に対する恐怖、絶望、無力感に
満たされる。


さて、
お金とまったく同じ作用を
人の心に及ぼす物が
もうひとつだけある。
「愛情」である。


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誰かに愛されている、という実感は
理屈や言葉の世界を突き抜け、
強烈な安心感・安定感を
その人の心に与えてくれる。
誰にも愛されていない、という感覚は、
その人を孤独と絶望に浸し、
世界の隅っこへ追い詰めて、
最悪、自らの手で命を絶たせる。
(愛されていた、もしくは
 愛されていなかった、
 ということに
 深いところで気がついたとき、
 人は泣かずにはいられない。
 そして
 これは不思議なことなんだけれど、
 愛されていた、
 と気づく時以上に、
 愛されていなかった、
 と気づいたときに溢れ出してくる涙の方が、
 その人の心を洗い流し
 強い浄化をもたらしてくれる)


このように、
「愛されているか、いないか」
ということと、
「お金を持っているか、いないか」
ということは、
とても良く似ているのである。


どうしてか?


どちらもその本質に、


「信用」


というものを、
内包しているからである。


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「信用」とは「肯定」である。
「お金」も「愛情」も
人間を強く肯定し、生きる支えになってくれる。


けれども、この二つには、決定的な違いがある。


「愛情」がもたらす信用は、無条件だし、変わらない。

「お金」にまつわる信用には、条件があり、査定がある。
 それは、時と共に変化する。


★  ★  ★  ★  ★


人間という生き物は、
他人から(世界から)肯定されるだけで
生きる力がどくどくと湧き出してくる存在である。


生まれたばかりの子供にとって、
世界、とは「親」のことである。
物心つく頃(せいぜい7〜8才くらい)までに
足が速いとかソロバンができるとか
絵が上手いとか音感が良いとか、
持って生まれた「性能」の善し悪しとは関係なく
ただ生きてここに存在しているだけで


お前はOK! 問題なし!


と、全肯定されて育った子供は、
成長してからお金(特に借金)に
振り回されることはないという。


「愛情」と「お金」の区別が、
きちんとついているのである。


しかし、子供の頃から
常に他人と比較され評価されて、
親の不安を満たすための「道具」と成長し、
愛されずに(=無条件に肯定されることを知らずに)
育ってきた子供には、
「お金」と「愛情」の区別がつかない。
(何故ならば、そういう親に限って
 子供に対するあからさまな
 投資行為とは裏腹に、
 「全部お前のためなんだ」的な
 ダブルバインドなことを言うから)
そして更に、
「親」と「他人」の区別をつけることもできなくなる。
(親が与えてくれなかった愛情を、
 友人、教師、先輩、上司など、
 家庭の外の他人に無意識に求めてしまう)


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悲しいかな、彼(彼女)は、
「評価・査定」された上での肯定感しか
親から教わってきていないので、
間違った物差しをそのまま
他人との関係に当ててしまう。
結果、「評価してもうらう」ために
背伸びしたり、媚びたり、といった
無理のある関係を結ぶようになり、
そしてそれは無理がある故
いつか必ず「クラッシュ」する。
そうなると、
「悪い査定を受ける」ことを恐れて
自分から人間関係を切ったり、
ストレスに耐えきれなくなって仕事を辞める。
働かないとお金が無くなる。
無くなるとカードで借金する。
それもできなくなると町金融に行く。
返せない。
そのツケが、かつて「愛情」を与えなかった
親の所に回っていく。
こうして「愛情」と「お金」はこんがらがって、
どんどん区別がつかなくなり、
その認識の混乱が、親と子の両方を壊していく。


査定を含み、評価が変わるものは、
そこにどれほどの骨折りや
心づくしがあったとしても
「愛情」ではない。
「投資」である。
そして、子供に「投資」し続けてきた親は、
成長した子供から「愛情」の代わりに
「お金」をむしり取られてしまう。


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俺たち人間が生きていく上で
何よりも必要なことは、
今ここに存在していることを
誰かから無条件に
「全肯定」してもらうことである。

そういう頑丈な土台が無い限り、
安定した人格も、精神的自立も、
スムースな人間関係も、
心から打ち込める仕事も、
手に入れることは難しい。


だから、幼い頃、親の査定を受け
「全肯定」されずに育てられてきた者は、
生きる強さを手に入れるために、
自分の力で、
また、自分と繋がってくれている人達の力を借りて、
自分自身を全肯定し直してやらなければならない。
そうしないと、人生の中で、
何度も何度も「愛情/お金」の問題で
足をすくわれ、もがくことになる。


愛を知らない親に
愛を求め続けることは、
自分も、自分の親も、
そして自分の子供たちをも、
不幸にすると俺は思う。


愛されていなかった、という事実を
恐れずに認めること。
逆説的だけど、そうすることで
「自分はOK!」
という強い肯定感を
必ず手に入れることができるし、
(生きてここにいるだけで
 もう十分にOKなんだ、
 ということに気づくだけでも
 とんでもないエポックだから)
自分を「査定」「評価」し、
「期待」と「失望」を抱き続けてきた
「父親」もしくは「母親」も、


「実は、愛され、全肯定された経験を
 持てなかった人(人達)だった」


という気づきに
至ることができるはずである。


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