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日記・コラム・つぶやき

2009年2月 4日 (水)

お引っ越し



唐突ですが、ブログ引っ越します。

木葉功一のブログ2

基本的にここはクローズせず、遺しておこうと思ってます。
(本の紹介の関連記事のみ、引越をするつもり)

よければ覗いてやって下さい。


2009年2月 2日 (月)

殺しのライセンス



「ベジタリアン」

というのは、

「肉を全然食べないひと」

だと思っていたのだけれど、違っていた。

正解は、
「何らかの理由で、肉食を制限している人」
なのだそうで、今までずいぶん誤解していた。
(まったく肉を食べない人のことは、
 英語で「ビーガン」というそうです)

_______________________________


肉を食べなくなって約一年。

「牛脂を使ったカレー」
「豚や鳥を潰して、それをダシに使ったラーメン」
「ラーメンに乗ってくるチャーシュー」
「きつねうどんのセットについてくる、
 炊き込み御飯に入った鶏肉」

などを、実はずっと、食べていた。
この程度のものまで避けるとなると
日々の食生活が極端に限定されてしまうので、
「しょーがない」と無視していたんだけれど、
ひっかかりは常に感じていた。


「自分で殺せる大きさを越えた動物の肉は、食べない」
「殺せる、と躊躇なく思える動物の肉だけを、食べる」


つい最近、あるサイトで
そういう考え方を教わった。


「自分が生きていくために、
 躊躇なく奪うことができる動物の命」


の範囲が、
一体どこからどこまでなのか、
きちんと把握する作業を
怠けていたわけですね。


で、リストアップ。


甲殻類、魚、爬虫類。
必要に迫られたとき限定で、鳥。


以上。
スッキリ。


ちなみに、教えていただいたのは
こちらのサイト。

hituziのブログ 無料体験コース
hituziのブログじゃがー


ありがとうございました。

2009年1月30日 (金)

お金の本質、愛の本質



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唐突に、毛色の違うエントリー。
今回は、ある特定の個人に向けて書いた
メモ書きである。
読んで意味が分からなくっても、
どうか御容赦いただきたい。

______________________________


お金は感情と直結している。
もっと言えば、


お金と感情はよく似ている。


お金の本質を「道具」という人もいるが、
それは違うと俺は思う。
「道具」という感覚は、
お金が人の手から手に渡るときに
もっとも表面的、
かつ、まぎらわしく現れてくる
「見かけ」にすぎない。


「道具」は、手や足の延長となって、
人間が生きていくために役立つもの、
使えるものを産み出してくれる。


お金は何も産み出さない。
ただ「交換する」だけである。
多くの人は、そこを錯覚していると思う。
(たったひとつだけ、
 お金が産み出すものがあった。
 お金、である(笑))


では、お金の本質とは、一体何か?


「フェイク(擬態)」だと、俺は思う。


  ★  ★  ★  ★  ★


お金は、扱う人間の感情を
とても大きく左右する。
沢山持っていれば気持ちが満たされ、
強い安定感を得ることができる。
多くを失えば、とても不安になり
将来に対する恐怖、絶望、無力感に
満たされる。


さて、
お金とまったく同じ作用を
人の心に及ぼす物が
もうひとつだけある。
「愛情」である。


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誰かに愛されている、という実感は
理屈や言葉の世界を突き抜け、
強烈な安心感・安定感を
その人の心に与えてくれる。
誰にも愛されていない、という感覚は、
その人を孤独と絶望に浸し、
世界の隅っこへ追い詰めて、
最悪、自らの手で命を絶たせる。
(愛されていた、もしくは
 愛されていなかった、
 ということに
 深いところで気がついたとき、
 人は泣かずにはいられない。
 そして
 これは不思議なことなんだけれど、
 愛されていた、
 と気づく時以上に、
 愛されていなかった、
 と気づいたときに溢れ出してくる涙の方が、
 その人の心を洗い流し
 強い浄化をもたらしてくれる)


このように、
「愛されているか、いないか」
ということと、
「お金を持っているか、いないか」
ということは、
とても良く似ているのである。


どうしてか?


どちらもその本質に、


「信用」


というものを、
内包しているからである。


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「信用」とは「肯定」である。
「お金」も「愛情」も
人間を強く肯定し、生きる支えになってくれる。


けれども、この二つには、決定的な違いがある。


「愛情」がもたらす信用は、無条件だし、変わらない。

「お金」にまつわる信用には、条件があり、査定がある。
 それは、時と共に変化する。


★  ★  ★  ★  ★


人間という生き物は、
他人から(世界から)肯定されるだけで
生きる力がどくどくと湧き出してくる存在である。


生まれたばかりの子供にとって、
世界、とは「親」のことである。
物心つく頃(せいぜい7〜8才くらい)までに
足が速いとかソロバンができるとか
絵が上手いとか音感が良いとか、
持って生まれた「性能」の善し悪しとは関係なく
ただ生きてここに存在しているだけで


お前はOK! 問題なし!


と、全肯定されて育った子供は、
成長してからお金(特に借金)に
振り回されることはないという。


「愛情」と「お金」の区別が、
きちんとついているのである。


しかし、子供の頃から
常に他人と比較され評価されて、
親の不安を満たすための「道具」と成長し、
愛されずに(=無条件に肯定されることを知らずに)
育ってきた子供には、
「お金」と「愛情」の区別がつかない。
(何故ならば、そういう親に限って
 子供に対するあからさまな
 投資行為とは裏腹に、
 「全部お前のためなんだ」的な
 ダブルバインドなことを言うから)
そして更に、
「親」と「他人」の区別をつけることもできなくなる。
(親が与えてくれなかった愛情を、
 友人、教師、先輩、上司など、
 家庭の外の他人に無意識に求めてしまう)


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悲しいかな、彼(彼女)は、
「評価・査定」された上での肯定感しか
親から教わってきていないので、
間違った物差しをそのまま
他人との関係に当ててしまう。
結果、「評価してもうらう」ために
背伸びしたり、媚びたり、といった
無理のある関係を結ぶようになり、
そしてそれは無理がある故
いつか必ず「クラッシュ」する。
そうなると、
「悪い査定を受ける」ことを恐れて
自分から人間関係を切ったり、
ストレスに耐えきれなくなって仕事を辞める。
働かないとお金が無くなる。
無くなるとカードで借金する。
それもできなくなると町金融に行く。
返せない。
そのツケが、かつて「愛情」を与えなかった
親の所に回っていく。
こうして「愛情」と「お金」はこんがらがって、
どんどん区別がつかなくなり、
その認識の混乱が、親と子の両方を壊していく。


査定を含み、評価が変わるものは、
そこにどれほどの骨折りや
心づくしがあったとしても
「愛情」ではない。
「投資」である。
そして、子供に「投資」し続けてきた親は、
成長した子供から「愛情」の代わりに
「お金」をむしり取られてしまう。


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俺たち人間が生きていく上で
何よりも必要なことは、
今ここに存在していることを
誰かから無条件に
「全肯定」してもらうことである。

そういう頑丈な土台が無い限り、
安定した人格も、精神的自立も、
スムースな人間関係も、
心から打ち込める仕事も、
手に入れることは難しい。


だから、幼い頃、親の査定を受け
「全肯定」されずに育てられてきた者は、
生きる強さを手に入れるために、
自分の力で、
また、自分と繋がってくれている人達の力を借りて、
自分自身を全肯定し直してやらなければならない。
そうしないと、人生の中で、
何度も何度も「愛情/お金」の問題で
足をすくわれ、もがくことになる。


愛を知らない親に
愛を求め続けることは、
自分も、自分の親も、
そして自分の子供たちをも、
不幸にすると俺は思う。


愛されていなかった、という事実を
恐れずに認めること。
逆説的だけど、そうすることで
「自分はOK!」
という強い肯定感を
必ず手に入れることができるし、
(生きてここにいるだけで
 もう十分にOKなんだ、
 ということに気づくだけでも
 とんでもないエポックだから)
自分を「査定」「評価」し、
「期待」と「失望」を抱き続けてきた
「父親」もしくは「母親」も、


「実は、愛され、全肯定された経験を
 持てなかった人(人達)だった」


という気づきに
至ることができるはずである。


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2009年1月26日 (月)

里帰り



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して参りました。


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湯沢のあたりは晴れていた。
でも、トンネルを抜けると、


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大荒れ。


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日本海どどーん。


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今年はたくさん雪が積もった。
子供の頃のようで懐かしかった。


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旧暦だと、今日が元旦。
しかも新月(水瓶座7度の金環蝕)。
自分的にも、新しい年がやっと始まった気分です。

2009年1月23日 (金)

出来過ぎ。



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「ディザインド」三話第一回、脱稿。


久々にブログ書けるのが、ちょっと嬉しい。
(でも、頭ボケてて、文章書けないdespair


親知らずを抜いた後、
右の顎がジクジクと痛むのには、ホントに参った。
残った歯が「位置決め」を終えるまで
このねちっこい痛みは続くのだろうか?
嫌だなあ。
ケミカルに頼りたくはないんだけれど、
仕方なく鎮痛剤飲んでます。


________________________________


今日も、ここしばらくで
気になった記事を三点ほど。


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「ガザでのイスラエルの一方的停戦」

量子化学者であり、
評論家・翻訳家・エッセイストでもある
藤永茂氏が運営されている、
「私の闇の奥」というブログの最新記事。
オバマ新大統領就任にピタッとシンクロして
イスラエルがガザから完全撤退した理由
(これがすごく気になっていた。
 あまりにも出来過ぎ、かつ見え見えで
 しばらくずっと腹が立ってた。
 こういうことがあるから、
 素直に「チェインジ!」とは
 言えないのである)
が、書かれています。


Rtr200901090127
「死んでいるのは誰か?」

「A Tiny Revolution」
というサイトのコラムの和訳です。
悲惨さのみをコラージュされて
メディアで報道されている
ガザ地区の住民達。
彼らはどのような人達なのか?
そして、本当に「死んでいる」のは、一体誰か?


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「就任式の図」

そして「みけまゆみの日めくりホロスコープ」より、
占星術で見る「オバマ大統領就任式」の図。


どれも興味深い内容です。
お時間のある方は、是非。


2009年1月17日 (土)

親知らずを抜く



とても上手な先生で、ラッキーだった。
でも今、麻酔が切れてきて・・・
うーん。痛い。


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ここ数年、折に触れ気になっていたんだけれど、
歯医者にいくのも面倒なので
「いっそこのまま、完全に生えきってくれないかな」
なんて甘いことを考え、ずっと延ばし延ばしにしていた。
抜いた今、気持ちがスッキリ・サッパリしている。
顔もちょっと変わったと、帰ってきてすぐ、妻に言われた。


歯のかみ合わせが不味いと、
健康状態や心(性格)にかなりの影響が出るそうです。


コラム・噛み合わせと性格
不正咬合(悪い噛み合わせ)がこんな病気を引き起こす(2) こころの変調


少し前、個人的なものの考え方に
大きな転換があったんだけれど、
その直後に親知らずが痛みだし
やり過ごせないほどの激痛で、
速効で歯医者を予約した。


考え方が変わる。
手放す。もしくは、受け入れる
状況が変わる。流れが変わる。
それに体が反応する。


順番はシャッフルするだろうし、
全部が同時かもしれないけれど。


異物がポロリと、外れて落ちていく感じ。


「節目」「変わり目」を実感している。


残った左下の親知らずも、
早いうちにサクッと抜いてしまおう。


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         (ディザインド/第三話/第一回)



2009年1月10日 (土)

Beat goes on.



「転換点」になるかもしれない時間を
今日は過ごせた。
未来に新しい色がつくかもしれない。


02


01


妻の焼いたアップルパイを食べた。
美味しかった。


世間がどんなに薄暗くても、
焦臭いニュースばかりが流れていても、
関係ないんだ。
ビートは続く。
(原稿の描きも、締め切りもねpen

2009年1月 9日 (金)

メモ三題・2



年明けからずっと原稿に没頭中。
なのでブログは、例によってメモ書きです。


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●年末年始に、昭和をほうふつとさせる歌番組が大量に流されていて、すごく気持ち悪かった。いかに団塊の世代の人達が大量退職して家にいるとはいえ、いかに世界の景気が冷え込んでるとはいえ、古いものをゴリ押ししてくる作為に、寒い思いがしたのです。つい去年までのおバカブームから一転して、一斉に暗いニュース番組と暗いドラマを流し始めた民放の商売っ気に、いささかうんざり。なので最近は、N○Kばっか流してます。(16時台の子供番組はアバンギャルドで可笑しいです)


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●イスラエルでガザ地区に対する空爆が始まった。反イスラエルを掲げる抵抗組織「ハマス」は、イスラエル諜報部のモサドが資金と武器提供をしている「ヒモつき」である、という話はずっと以前からあって、イスラエルの命令でイスラエルに対して自作自演のテロを起こし、ガザ地区を攻撃する口実を作り出し続けてきた疑いが濃い。だけど、夫や妻や子供達を殺された人達にとっては、対立の構造が「ヤラセ」だろうと何だろうと、家族を爆弾で吹っ飛ばされた悲しみと憎しみは本物であり現実だから、殺し合いの応酬を抑えることなどできはしない。これを日本のテレビのニュースは宗教的な対立として淡々と報道しているが、そこに作為がない限り、戦争なんてそう簡単に起こるものではないんである(イスラエルが建国される前、かの地のイスラム教徒とユダヤ教徒はとても仲良く暮らしていた)。戦争が必要なのは軍人でも政府でも宗教団体でもなくて銀行である。そのことに俺たちは常に自覚的でないといけない。ガザ地区の子供達の頭上に降り注いでいる砲弾は、俺たちが月々支払っている税金の一部で作られている。日本の政府が紙くず同然の国債を買う形でアメリカに送金し、そのお金をアメリカがイスラエルに送っている。イラクの空爆にもアフガンの空爆にもガザの空爆にも、俺たちは知らないうちにちょっとずつ荷担している(させられている)。対岸の火事ではないんである。
(麻生総理は、漢字も読めないバカボンかもしれないけれど、イスラエルの首相に電話して「空爆をやめろ」と言ったり、郵政民営化を白紙に戻そうとしたり、マクロな部分ではまっとうな対応をしていると思う。民主党に政権が移ったら、間違いなく戦争ムードが加速する。バカでもボンでもいいから、ダメ首相のまま、日本はここ3、4年の世界情勢の急カーブを、無責任にのらりくらりと曲がり抜けた方がいいように思う)


BlueBloomBlog/戦争が絶対になくならない理由


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●「食は運命を左右する」という本を手に入れた。
 水野南北という江戸時代の有名な観相家(占い師だね)が書いた本「相法極意修身録」の現代語訳で、(この人は、「観相も手相も論ずるに足らず、人間の運命は食にある」と言い切った人である)儒教チックで説教臭くはあるんだけれど、ことごとくマクロビオテックに通じていく内容で、読んでて思わず笑ってしまう。最近はすっかりお風呂の友です。

 食は運命を左右する 現代語訳相法極意修身録


2009年1月 2日 (金)

初詣



行ってきました。


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東郷元帥と木花咲耶姫命に新年の誓いを立ててきた。
二つめの場所が自分的には「ガツン」ときた。
「パイプが通った」もしくは
「しっかりとチューブした」感じ。
とても小さな場所だけれど、良いです、ココ。
新宿に出た際には、
お参りに寄るようにしようと思う。

2009年1月 1日 (木)

謹賀新年'09



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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。


2008年12月31日 (水)

Last day of 2008



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だからといって、
特別なこともない。
今日も原稿を描いている。
(個人的には
 2月くらいにならないと
 年が改まった気がしない。
 なので、これから年末を迎える感じ)


ひょんなことから始めたこのブログだけれど、
スタートさせて本当に良かった。


 ★  ★  ★  ★  ★


年内中に書きたくて、
書けなかったことが沢山ある。


遊牧民族の生活習慣が
資本主義システムの母体になったのではないか、とか
現金を撤廃して完全キャッシュレス社会にするために
今度の金融恐慌は仕組まれたのではないのか、とか、
癌は血液の病気であり、
主な原因は未処理の感情と
食事にあるのではないか、とか、
それらのことを突き詰めていくと、
「腸内造血」が正しいように
どうしても思えてしまうこと、とか。
(「骨髄造血」という医学の常識が
  間違っている可能性がある)


今の世の中の動きは
とてもとても早いので、
自分的にも世間的にも
風化してしまわないうちに
文章にしたい、と思っています。


漫画の作品に関しては、
春先あたりにまとまったアクションを
起こせそうな感じなので、
(作品集の発表とかね。
 パッケージの形体はまだ未定)
待ってやってもいいという方、
気長に待ってみて下さい。


いただいたコメントやメールの数々、
本当に力になりました。
来年も懲りずに通って読んで
気軽にメッセージ入れて下さい。


2009年が皆さんにとって
良い年になりますように。


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2008年12月24日 (水)

MERRY MERRY X'MAS



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妻ケーキ。
ありがとう妻。


  ★  ★  ★  ★  ★


今年は本当に
あっという間の一年だった
漫画と共に始まり、漫画と共に終わった
妻と猫と三人で家の中でずっと過ごした
表面的に淡々とした日々が続いたけれど
内面の変化は激しかった


自分のこころと妻のこころ
繋がってくれている親族のこころ
執筆という仕事との向き合い方
編集者さんとの関わり方
(ブランク明けの迷いを抱えて着火に時間のかかった俺を
 支え続けてくれた彼らに心から感謝します)


自分と自分以外の世界との「関わり」を
徹底的に見直すために
経済的なことをペンディングにして
がっぷり取り組んだ一年だった


できるだろう、と思ったことの
半分も消化できなかったけれど
何とか小さな芽は出せた


来年はたくさん葉をつけよう





坂本龍一/Merry Christmas Mr. Lawrence



新しい航海/佐野元春 with The Heartland


2008年12月22日 (月)

06:00AM, 15M/S



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朝起きたらまるで春のような暖かさと激しい風。


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カメラを持って散歩がてら外へ。


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ごうごうごう、ざわざわざわ。


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カメラがブレるほど風が強い。
ちょっとした嵐のよう。


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空が明けてくる。
嘘みたいに風がやむ。
冬の空気がもどってくる。


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家に戻って、やっと朝日。


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冬至の次の日。
一瞬の春の朝だった。

2008年12月20日 (土)

パンデミックの嘘



というか、罠。


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前回から医療つながりで。


「スペイン風邪」が
バージョンの若い「鳥インフルエンザ」だった、
というのは、あちこちで言われている話で、
石原都知事は
ヒトーヒト感染の新型鳥インフルエンザによる
パンデミック(感染爆発)が起こった場合、
日本だけで60万人が死亡する、
と危機感を煽る発言をして
全都民にワクチンの接種を勧めている。


ところで、こういう話がある。


1919年のインフルエンザ(=スペイン風邪)大流行は
ワクチンによって引き起こされた。

                 ジョン・ラッポート

エリノア・マクビーンによって、
ほぼ25年ほど前になされたもうひとつの分析がある。
以下の引用は彼女の著書「糾弾されたワクチン接種」
(Vaccination Condemned)の第2章からのものだが、
全く違った観察が示されている。


私は1918年のインフルエンザ流行の現場をこの目で見た。


1918年のスペイン風邪の流行を体験した医者や人々のだれもが、あれは世界的にも前例のない恐ろしい病気だったと言います。ある日心身ともに強健だった人が次の日には死んでいるかもしれませんでした。その病は、腸チフス、ジフテリア、肺炎、天然痘、小児麻痺といった、第一次世界大戦直後に人々がワクチンとして接種されることになった諸病に加えて、黒死病(ぺスト)の特徴をそなえていました。


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事実上すべての人が、1ダースかそれ以上の病気や毒性血清を「種としたもの」を注射されました。そのようにして医者が作った病気が一斉に発生しだしたとき、それは悲惨なものでした。


流行は2年間続きましたが、その勢いは、症状を抑えようとして医師たちがさらに投与した薬の毒性によって保たれました。私が見いだしたかぎりでは、インフルエンザはワクチン接種を受けた人だけを襲いました。注射を拒絶した人たちはインフルエンザを免れました。


私の家族はワクチン接種をすべて拒絶していましたので、流行期間中も無事にすごすことができました。私たちは、グラハム、トレイル、チルデン、その他の人の健康法から、毒性のあるもので身体を汚染すればそれはかならずや病気につながっていくということを知っていたのです。


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インフルエンザの最盛期には、学校はもちろん、すべての店が扉を閉ざしていましたし、ばかげたことに病院までもが、医師や看護婦もまたワクチン接種をうけていたのでインフルエンザで倒れて、閉鎖されるというありさまでした。そんなわけで、医者もいない中、私たちの両親は、少しでも病人の世話が出来ればと家々をまわっていました。


もしも細菌、バクテリア、ヴィールスやバチルスといったものが病気の原因になることができるのなら、私たちの両親は一日に何時間も病人と同室していたのですから、感染する機会はいくらでもあったわけです。しかし、彼らはインフルエンザに罹ることはありませんでしたし、また、病原菌を持ち込んで私たち子供にうつすということもなく、何も引き起こしはしませんでした。私たちの家族は、深い雪の積もるその冬の間中、誰一人としてインフルエンザはおろか鼻風邪にさえかかる者もありませんでした。


1918年のインフルエンザ(スペイン風邪)大流行は世界中で2000万人もの人を殺したと言われています。しかし、実際には、医師たちがいいかげんで致死的な処置と薬によって殺したのです。これは厳しい告発ですがそれでも、薬品を用いない医者と、そうでない一般の医者と、どちらが成功したかという比較で判定すれば、それが真実なのです。


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 「メディカルな」人々や病院が、診ていたインフルエンザ患者の33%を死なせていた一方で、BATTLE CREEK, KELLOGGそしてMACFADDEN'S HEALTH-RESTORIUM といった「メディカルでない」病院ではほとんど100%の治癒をえていたのですが、彼らが用いた治療法はといえば、注意深く計画された自然食の食事療法に続いて、水療法、水浴、浣腸、その他、そして、断食その他いくつかの単純な治療法を施すというものでした。ある「ヘルスドクター」は8年の間一人も患者を失いませんでした。このように一人の患者も失わなかった「薬を用いない医師」たちの一人による健康治療のめざましい成功例は、少し後で出版される、この本の他の部分(タイトルはVACCINATION CONDEMNED)で示されるでありましょう。


 もしも「メディカルな」医師たちが「薬を用いない医師」たちと同じくらい高度であったならば、そのような2千万もの「メディカルな」インフルエンザ治療による死は無かったことでしょう。


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 ワクチン接種を受けた兵士たちの間には、それを受けなかった市民の間でよりも、7倍の病気がありました。しかもそれらの病気はその予防としてワクチン接種されたものだったのです。1912年に海外から引き上げてきたある兵士は私に、陸軍病院は小児麻痺患者でいっぱいで、大の大人がなんで子供の病気に罹らなくちゃならないんだと思った、と話してくれました。今では私たちは、(小児)麻痺はワクチンの毒性による後遺症であることを知っています。家にいる者たちが(小児)麻痺に罹ることは、1918年にワクチン接種の世界的なキャンペーンがおこなわれる前にはなかったことです。


     JON RAPPOPORT  www.nomorefakenews.com
             「スペイン風邪」の現場証言 縞

原文:THE FLU: 1918 AND NOW
http://www.nomorefakenews.com/archives/archiveview.php?key=1851

参照:The Spanish Influenza Epidemic of 1918 was caused by vaccinations
http://www.whale.to/vaccine/sf1.html
(Swine Flu Expose by Eleanora I. McBean, Ph.D., N.D.)



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2000万人、というのは25年前のデータで、
現在では感染者6億人、死者4000〜5000万人、
という修正が入っている。
第一次世界大戦における全戦死者の4~5倍の数だ。
感染爆発とは、よく言ったものである。


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当時の日本(大正時代)でも、
人口5500万人に対して39万人が死亡した。
(全世界的な傾向として、
 乳幼児や老年層よりも20才前後の若年層・青年層に
 圧倒的に死者数が多かった)
この「死の爆風」の被害を逃れた人達に
共通する点はただひとつ。
ワクチンを摂取しなかったことだ。


ところで「スペイン風邪」と言うからには
スペインで感染の波が始まったように思うけれど、


発生源は1918年3月米国シカゴ付近。高病原性を獲得したのは1918年8月15日頃、アフリカ西海岸の英国保護領シエラレオネの首都フリータウン付近とされる。米国発であるにもかかわらずスペインかぜと呼ぶのは情報がスペイン発であったためである。
                     (Wikipedia)

と、いうことだそうで、
スペイン風邪は、何とアメリカ産なのでした。


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1918年は第一次大戦中であり、アメリカの兵士に「接種」した「黄熱病」のワクチンが、多分意図的にスペイン風邪の弱毒株に汚染されており、米軍は兵士自体をインフルエンザを世界にばらまくための「生物兵器」として、これまた意図的に「放置」したことに合理性を見いだせる資料を私も見つけました。

1918年当時は、公式にはウィルスは発見されておらず(公式には1933年)、これは光学顕微鏡の限界のためだったわけですが、米軍はマイコプラズマを遺伝子操作の「ベクター」として使う技術は既に持っていたと考えています。(一部抜粋)


と、いうことを言っている人がいる。
http://www.asyura2.com/0311/health7/msg/865.html


そして100年の時を下った、今。


「鳥インフルエンザ」は「スペイン風邪と同様」21歳以下の若年層に「選択的」に重い感染を引き起こすことが知られており、今回のものも死んでいるのは殆ど20歳以下の子供のようです。スペイン風邪当時ではアメリカの余命平均は約10年短くなったようです。
スペイン風邪自体は50年代から「再生」の試みがなされていましたが、2002年になって「実用化」のめどがついたという資料もありますし、今回のH5N1株は同じ様な若年層に有害なものとして60年代後半から「実用」の試みが繰り返されてきたようです。

2003年では、まず、フロリダやテキサスを中心にして「フージアン(福建/フージェンの誤読と思われる)株」という「中国製の」鳥インフルエンザ株が「流行」していたようで(今回の鳥インフルエンザもアメリカ産、ということなのか?)、年末になってバングラデッシュで60人の子供が死ぬという「原因不明の病気」でベリファイされたのちに韓国で鳥に大規模感染を起こし、タイ、ベトナムに持ち込まれたのではないかと考えています。


つまり、
鳥インフルエンザのウィルスは、
10〜20代の若者を選択的に殺害するために作られた
生物兵器であり、
2003年のフロリダ・テキサスをスタート地点に
バングラデッシュ、韓国、タイ、ベトナムと
場所を変えてテストされ、
できるだけ多くの有色人種に感染するよう
(パンデミックを引き起こしやすいよう)
バージョンアップが図られてきた、

と、この人は言ってるわけだ。


陰謀論者のうつけたうわごと、と一笑する前に、
俺たちは自分の目と耳を使って
それが事実かどうかを調べ、
確認しないといけないだろう。
現代科学/医学の常識、著名人の評論や
メディアのコメントを盲信するのも、
2012年のアセンションで世界が終わる
(もしくはシフトする、新しい世界がやってくる)、
爬虫類型宇宙人が金融資本家を支配している、
といったニューエイジなトンデモを信じ込むのも、
人が言ったことを鵜呑みにする
という点においては、
同程度にウカツで危ういのだから。
(そういう人達のことを
 「鳥みたいなひとたち」と、妻は言った。
 その通りだと俺も思う)


20030415yatutidori1985april


アカデミックな論文が大嘘だったケースは
世界的に数多く、ならば同じ確率で
「電波」な人達が発信した情報の中にも
「事実」はあるだろうと思っている。
どこで何をどう拾うかは、
いつだってセンスの問題だろう。


Hlt014s


取りあえず
俺はワクチンは射たないし、
家族にも絶対に摂取させない。
普通のインフルエンザならば、
うがい・手洗い・手首洗いと
規則正しい睡眠・食事でほぼ完全に防げるし、
かかったらかかったで経過させ、
体内の他の雑菌を熱で駆除してもらえばいい。
(命まで取られることはない)
もしも新型インフルエンザにかかった場合、
それが強毒性の変位種ならば、
既存のワクチンはまず効かない。
ゆえに、ジタバタしても仕方がない。
それが弱毒性であった場合
(ヒトーヒト感染を起こして大流行するのは
 この弱毒性タイプであると言われている)、
致死率は10%くらいに下がっているそうで
(強毒致死率50%だと、罹った人間はすぐに死ぬ。
 外を歩き回って他の人間に移せないので、
 ウィルスも一緒に死んでしまう。
 ゆえに強毒性ウィルスの感染範囲は
 ごく狭いものとなるらしい)
よほど体力が落ちていなければ
死ぬようなことはないらしいから
出すものを出し下すものを下し水分を取り、
熱・汗・咳も出すだけ出して、
安静に布団で寝ていようと思う。


(あのタミフルの特許を占有している医療メーカー
 「ギリアド・サイエンシズ社」の大株主は、
 アフガン侵攻とイラク戦争を推し進めた
 アメリカ前国防長官・ラムズフェルドである。
 ハンデミック・キャンペーンが煽られれば煽られるほど
 ワクチンビジネスの利権はどんどん巨大に膨らんでいく。
 その一点を考えるだけでも、
 ワクチン射つ気なんて無くなるのである
 そもそもこういうあやふやな状態で
 60万人以上が死ぬとか、スペイン風邪の再来とか、
 ただ脅しをかけるような情報ばかりが
 著名人の口から出ていること自体、
 ミスリードを疑いたくなるくらいに
 ものすごく迂闊だし不謹慎だ。
 よくよく調べて確かめてみれば、
 備蓄されているワクチンの実体は
 ニワトリに効くことのみが証明されているもので、
 人間に効くかどうかは分からない代物だし、
 しかも新種強毒性流行と分かった時点から
 半年後でないと、そのワクチンが
 一般人に届くことはないという。
 それでいて、医者の口からは
 弱毒性でなければ大流行にはならない、
 つまり、死なない程度のものでなければ
 大勢の人には広まらない、
 という趣旨の発言がされている。
 もしかして
 弱毒性で60万人が死に至るためには、
 バージョンの若いワクチンでもって
 体の抗体が弱められている必要が
 あるんじゃないの?

 ・・・・なんてことを
 意地悪く考えたくなるのは
 俺だけだろうか?think



Kansen_01
エイズ感染者の国別分布(感染者数)


Map2003_05_01
SARS感染者の国別分布(感染者数)


Tori080725
鳥インフルエンザ感染者の国別分布(感染者数/死亡者数)


この三枚の地図を、
そしてそこに書き込まれている数字を
じっくりと読んでみてほしい。
AIDSは南アフリカと南アジアに、
SARSは中国、南アジアに、
鳥インフルエンザもまた南および中央アジアに
的を絞ったかのごとく
大量の犠牲者を出している。
(注目はSARSの地図のカナダで、
 147人感染、という数字。
 これはトロントの数字なんだけれど、
 トロントには大きな中国人街があって、
 発病者のほとんどはそこに住んでいた中国人だ)
どうして感染・死亡者が有色人種に
こんなにも偏っているんだろう?
というよりも、
何故、有色人種に感染しやすい
特質を持ったウィルスばかりが、
世界を席巻しているのか?
突然変異のウィルスたちは、
北アメリカと北ヨーロッパに
何か借りでもあるんだろうか?


もっとも政治的効果の高い生物兵器とは、いつだれが使用したのか、兵器なのかどうかさえわからず、しかもけっして人類を全滅させることのない、あまり威力の強くない病原体だ。

威力が弱いために、感染の影響(感染率、死亡率)は、感染する対象(ヒト)の住む環境によって、一律ではなく「まだら」に出る。この「まだら模様」を予測し制御できれば、「敵」だけに感染の恐怖と被害を与えることも可能だ(効果が限定的なので「方舟型」と呼ぶにふさわしい)。

しかも、その対策をとる際に、人類は「全人類のために」団結することはない。それどころか、被害者の集団と、「どうせ自分は関係ないから」と高みの見物を決め込む集団とに分かれて反目し対立し、一致した行動をとれないと危惧される。この「社会対立型」生物兵器こそまさに使用可能な「最終兵器」であり、従来の「核兵器代替型」とは使用方法も、使用目的もまったく異なるものだ。


             佐々木 敏 「SARSの方舟」より


    ★  ★  ★  ★  ★


おまけ。


まず医師ら150万人に 大流行前ワクチン事前接種 
新型インフルで厚労省 「医療ニッポン」
                    (2008/9/2)

新型インフルエンザの発生に備え厚生労働省が計画しているプレパンデミック(大流行前)ワクチンの大規模な事前接種の最初の対象者として、同省が医師などの医療従事者約150万人を検討していることが31日分かった。

 厚労省は、現在進行中の6000人規模の臨床研究でワクチンの安全性、有効性が確認されれば、来年春以降に警察官やライフライン関係者を含む約1000万人への接種拡大を検討するとしていた。だが「接種拡大は安全性を確認しながら段階的に進めるべきだ」などの意見に配慮、最初の対象者を絞ることにした。接種費用として来年度予算の概算要求に約55億円を盛り込んだ。

 検討されている接種対象者は全国の病院や診療所の医師、看護師、薬剤師ら。医療従事者は接種への理解が得やすいと判断したためとみられる。


 (エントリーの最初にある
  エリノア・マクビーンの証言が事実ならば、
  パンデミック発生とともに
  日本中のライフラインに携わる医療関係者と
  治安を担う警察関係者、および空港検疫関係者が
  真っ先にブッ倒れることになるshock


    ★  ★  ★  ★  ★


気になる向きに。


・エイズは人種を選択して殺戮するための生物兵器
 上記の原文サイト
・世界のHIV感染・エイズの状況
・エイズのポリオワクチン起源説
・ワクチンという時限爆弾
・豚インフルエンザによる大虐殺
・タミフル特許所有の医療メーカーの大株主はラムズフェルド
・SARSは有色人種だけに感染する生物兵器
・SARSの方舟
・新型インフルエンザ/秋津嘉男氏/主治医が見つかる診療所

2008年12月18日 (木)

Cancer's scissor・2



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モヤモヤして仕事にならないので、
思い切って書いてしまった。


「癌」と「感情」の話の続き。


今日はまず、
自分自身の経験から書いていく。
(今回のエントリーはヘビーです。
 気分の安定しいてる時に読むことをお勧めします)


  ★  ★  ★  ★  ★


漫画家になる少し前、
父親が肺癌を患って死んだ。


発見された時、父の癌は
ステージ4のBという段階に達していた。
末期癌である。
もって半年、と親族告知で医者に言われた。


父はタバコもアルコールもやらなかった。
特にタバコは、匂いがしただけで
顔をしかめるくらいに嫌っていた。
なのに、肺癌になってしまった。
医者に見せられた肺のレントゲン写真には、
小さな癌がビッシリと芽を吹いているのが写っていた。


癌の原因を特定することは、
ついに医者にはできなかった。
父親の職場が化学工場であったため、
多量の粉塵を吸い込んだことはなかったか、
と何度も訊かれた。
アスベストなどの発ガン性物資による発病を、
医者は疑ったのである。
確かに若い頃、そういう現場で働いたことはあったけれども、
それは本当に短い期間だったと母は言った。
(もちろん防塵マスクを使用していた)
キャリアのほとんどを
検査部(研究室)で過ごしてきたことを考えると、
発ガン性物質を吸入したことで癌が発症したとは
どうしても考えられなかった。


原因が不明のまま、
抗ガン剤による治療が始まった。
母のたっての願いで、父は告知されなかった。
知らないままで入院し、
抗ガン剤とアヘンを交互に体に入れられた。
症状は(もちろん)改善されずに、悪化した。
父は苦痛と吐き気に苦しみ、どんどん衰弱していった。


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父が死ぬ一週間程前、
夜の回診にやってきた医師に、思いきって俺は言った。
「麻薬の量を増やして下さい。もう楽にしてやってほしい」
医者は断った。長々と何か理由を言われた。
耳に入らなかった。腹の底が熱かった。
「麻薬もっと増やせよ!」
怒鳴った。医者も声を荒げた。
「できない!」
(父親の担当医は、
 小学校の時転校していった俺の同級生だった。
 お互いに相手のことは覚えていたけれど、
 医者と患者の親族、という関係の中で、
 面はゆさを感じながら、ずっと敬語で通してきた。
 ガチンコで話せたのは、この時だけだ)


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父が死んだ後、
医者は父の肺をサンプルに欲しがった。
珍しい発症例だったので、解剖して肺を研究したい、
どうか協力して欲しい、と言われた。
断った。父は絶対に嫌がると思ったからだ。


父方の血筋に癌になった人間が多めだったため、
父が癌になったのは「遺伝」だったんだろう、
ということで、大方の親族は納得していた。
理不尽な想いが胸の隅に張りついて残った。
葬式の後、静かになった家の中で
父の遺影と向き合いつつ、
「50代半ばで俺も癌になるかもしれないな」
そう、ボンヤリ考えていた。
自分の背中に何かの順番が
刻み込まれたような気がした。
後悔しない生き方をしないといけない。
覚悟、ではなく、腹の底に残る怒りから
(仕返しするような気持ちで)
そう思った。

_________________________


もちろん10年以上たって、
俺の気持ちもずいぶん変わった。
刹那的なもの、暗い塊のようなものが
胸の中から外れて落ちた。
(もしかするとそれはみんな
 漫画になってしまったかもしれないsmile
走らなきゃ、と追い立てられるようだった気持ちも、
結婚を境に落ちついた。


父が死んだ年齢を越えて何十年も生きるつもりだし、
描けるだけ作品を描き続けながら、
妻や子供や親族や猫たちと沢山の時間を過ごすつもりだ。
(この三つが実現すれば、後悔はまず無いだろう)
気負うことなく、今は自然にそう思える。
「遺伝の呪縛」を振り切ることができたのは、
ここ数年間で「病」というものに関する認識が
劇的に変わってしまったから。
タバコも吸わず酒も飲まなかった父が
どうして癌に冒されたのか、
自分なりに納得のいく答えを
見つけることができたからだ。


もし、病気と感情の関係に気づかなければ、
10年後、おそらく俺も、癌になっていたと思う。
でも、その未来に通じる道からは、
少し前に離れたように思う。
そうだという強い確信が、自分の中にしっかりとある。


ストレスが胃ガンを作る。
酒の飲み過ぎが肝臓癌や腎臓癌を発生させる。
煙草の吸いすぎが肺癌の原因である。


それは間違いないと思うけれど、
そうさせる原因は
心に蓄積された未消化の感情の塊だ。
暴飲暴食するのも、
中毒になるまで酒を飲むのも、
咳が止まらなくなるまで煙草を吸うのも、
そうすることで、
身の内に溜まって行き場をなくした強い感情を
「成仏」させてやるためである。


So_198


怒り、悲しみ、焦り、苦しみ、無力感、劣等感、欠乏感、
そういう自分の中にあるネガティブな感情の塊と、
同じエネルギー量を持つ何かを
人間は体の中に取り込み、バランスを取ろうとする。
ネガティブであろうと、エネルギーはエネルギー。
使わなければ、それは直接、肉体組織にダメージを与える。
だから人は、
溜まった怒りを晴らして散らすために酒を飲み、
悲しい気持ちや焦りを押さえ
落ち着かせるために煙草を吸い、
飢えた愛情を手早く満たすためにバカ食いする。
そして、どこかの段階で、因果関係が逆転し、
酒を飲まなければ怒りを発散できなくなり、
煙草を吸わなければイライラハラハラするようになり、
食べ続けていなければ依存心を満足させることが
できなくなる。


こうして生活習慣病は、多かれ少なかれ、
個々人の人生に影響力を持つようになる。
西洋医学は対処療法しかしないので、
「ダイエットしなさい」「禁煙しなさい」「禁酒しなさい」
と言うだけで、そういうバランスの崩れを作った
「感情」のありかを見つめない。


20060811201554


(西洋医学は死体解剖から始まった学問で、
 人間の体を物質レベルでしか考えない。
 さらに、西洋医学が進歩した理由は
 先の二つの世界大戦にあると、俺は思っている。
 戦闘で腕がもげたり、足がちぎれたり、
 顔や頭が裂けてしまったような人達から
 「応急処置で」痛みを取り去り、生命を繋ぐ。
 延々と繰り返されたその行為と、
 そこで得られた実績やデータが
 対処療法信仰を生んだのだと俺は思う。
 数分後に死ぬかも知れない人を助ける時に
 その人が抱えている心の問題について
 考えてるヒマなんかなかったのである。
 なので、今日の癌を中心とする
 大病に対する医学の姿勢は、
 戦争という非日常の中で培われた理念を
 ムリクリに押し通した偏ったものだ。
 抗ガン剤の素になったのが
 第一次大戦時に開発された化学兵器である
 イペリットガス(マスタードガス)である、
 というのは、あまりにも有名な事実である)



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だから「ダイエット」「禁煙」「禁酒」に成功した人は、
必ずリバウンドに苦しめられる。
いまだ処理されていない感情のエネルギーに
内臓や神経を直撃されて、
数倍のストレスを抱え込むから、
「バカ食い」「バカ吸い」「バカ飲み」をする。
まさに負のスパイラルだ。


そしてある日、
金属疲労が重なったバイクのフレームが
突然バキンとへし折れるように、
心臓発作を起こし、脳梗塞を起こし、癌の激痛に襲われる。


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医者も含めて、現代の人間は
自分の心の動きに無関心で無頓着だ。
プログラムされたロボットのように、
自動的に煙草に火を点け、ビールのプルトップを引き、
コンビニ弁当のビニールを破る。


本当に喰いたいのか?
本当に飲みたいのか?
本当に吸いたいのか?
今やってることとは別のことを、
本当は求めているんじゃないのか?


かつて俺自身、
自分に無関心な人間だった。
足繁くバーに通い、
浴びるように酒を飲んでいたのは
酒が飲みたかったからじゃなかった。
一日20本近く煙草を吸っていたのは、
煙草を吸いたいからじゃなかった。
癌で死んだ父と自分の未来をダブらせて
かつてあんなにも色んなことを考えたはずなのに、
体を破壊する行為に歯止めがきかなかったのは、
心に報われていない感情が
どっさり溜まっていたからだ。
そのエネルギーの塊と、肉体のバランスを取るために
(手っ取り早く「仮の満足」を手に入れるために)
飲んで吸って遊び歩いて
自分の命を削りながら、貴重な時間を浪費していた。


自覚していないモノに、
人は操られてしまう、ということは
過去のエントリーのどこかで書いた。


俺たちは、膨大な量の感情エネルギーを
体の中に溜め込んでいて、
そのことにまったく気づいていない。
そして抑圧された無意識が、
臓器を使ってサインを出すと、
目に見えるもののみ見るように
洗脳された医者の所へ行き、
かつて化学兵器だった毒薬を
金を払って投与してもらう。
(薬は基本的には自然界に存在しない人工物、
 化学物質であり、ゆえにすべての薬品は
 生体にとって毒物である)


誰も彼も自分自身に、
ゾッとするほど無関心だ。


  ★  ★  ★  ★  ★


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陰陽五行(木火土金水)の思想を重んじる
東洋医学(中国医学)によると、
体内の臓器は五種類の感情(陰陽に分けると十種類)を、
それぞれに司っているという。


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①木 
肝臓(陰)→ 怒り(執着心、無力感、不寛容さ、消極性)
胆嚢(陽)→ 怒り(攻撃的、横暴、傲慢、暴君的)

②火 
心臓/循環器/生殖器(陰)→ 喜び(身勝手、冷酷)
小腸(陽)→ 喜び(興奮、過敏、躁病的)

③土 
脾臓(陰)→ 保護(動揺しやすい、愛情に対する飢餓)
胃(陽) → 保護(過保護、心配性、お節介)

④金 
肺(陰) → 悲しみ(他者不信、自己不信、過敏、粘着質)
大腸(陽) → 苦悩、悲しみ(詮索癖、独善的、完璧主義)

⑤水
腎臓(陰) → 恐怖(無気力、孤立、シニカル、被害妄想)
膀胱(陽) → 恐怖(頑固、独善的、懐疑的、優柔不断)


  過剰な状態を「陽」、不足の状態を「陰」とする。
  例えば、傲慢さや攻撃心が心の中で強くなると、
  「木」の「陽」、
  つまり「胆嚢」に影響が出てくる、ということ。
  ウソ臭く聞こえるかも知れないけれど、
  例えば攻撃心が強くて傲慢で
  そういう自分を「良い」「好きだ」と
  思っている人がいたとして、
  その人が菜食主義者である確率はとても低いと俺は思う。
  やっぱり肉や油物をガンガン食べてるような気がする。
  動物性の脂分が体内で過剰になると、
  それを分解する胆汁を作っている胆嚢の中に
  分解し切れなかった脂が残って蓄積し、
  結果それが胆石になる。
  こう考えていくと、
  陰陽五行を感情と内臓に当てはめる考え方は
  なかなかに真理を突いていると思う。
  

 (西洋医学に不信感を持っているから、
  東洋医学に全幅の信頼を寄せている、
  というわけではない。
  中国医術を施す医者にも、胡散臭い人物は沢山いる。
  ただ、東洋医学が死体ではなく、生体を考えることで
  発展してきた医術である、という根本の部分は
  間違っていないと強く思う)


  ★  ★  ★  ★  ★


父は、ほとんど笑わない男だった。
大口を開けて「ガハハ」と笑った顔なんて、
たぶん一度も見たことがない。
加えて口数も少なかった。
(俺は「ガハハ」と笑うし、よく喋る。
 きっと母方の血なんだろう)
小さい頃、吃音がひどくて、
それで自然と無口になった、と
母を通して聞いた気がする。
怒ると怖い父だった。
会社の同僚や友人が見たら
ビックリするほどの激情家が、
父の中には棲んでいたのだ。


幼い頃、父は孤独だった。
親がいなかった。
親戚の中で育った。
(吃音はここで出たのだろう)
経済的なプレッシャーの中で十代を過ごし、
国立大学への推薦状を自分の手で破り捨て
町の化学工場に就職した。


子供の頃の父の写真の一枚に、
笑っている親戚の家族の後ろの隅で、
ぽつんと一人立ち、
レンズを見つめているものがある。


この幼い子供が、どんな感情を抱え、
何を押し殺してそこにいるのか
想像するに難くない。
癌を患って迎える人生の終わりを、
この時、この子は、まだ知らない。


東洋医学では上記のように、
肺には陰の金気が溜まる、とされている。
陰の金気とは、
「深い悲しみ」「自己不信」「他者不信」とある。
一言で言うと「孤独」だろう。


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煙草を吸わず、
粉塵を大量に吸い込むような職場環境にも無かった父が
どうして肺癌になったのか、
「感情」というキーワードを使うと、
答えが見えてくるように思う。


「孤独」な感情は胸に溜まる。
それをまぎらわすために、人は煙草を吸うように思う。
(心理学的に煙草は、母親の乳首、おしゃぶりである)
吸えば煙で気管を焼き、重金属で肺胞を潰して
肺癌を発症する。
では、吸わなければ癌にはならないのか?
極論的には関係ない、と俺は思う。


たとえ煙草を吸わなくても、
「孤独」な感情を胸に抱えて、
それを抑圧し、押し殺している限り、
肺の受けるダメージは同等だろうと思うのである。


さみしいんだ、と泣く。
さみしかったんだね、と誰かに抱きしめてもらう。
わかってもらう。受け入れてもらう。認めてもらう。
そういうやりとりを経ずして、感情の塊は成仏しない。
何年、何十年と、いつまでもそこにあり続ける。
(友達や恋人や夫婦の間で、理不尽な感情をぶつけあって
 思い切りケンカすることで消える感情もあるかもしれない。
 しかし、
 相手がわかってほしがっている感情を受け入れず、
 押しつけ、押し返すばかりのやり取りであれば、
 ストレスは溜まる一方だろう。
 発散できるケンカとできないケンカがある、
 ということなのではないだろうか。
 わめき散らしたり暴れたりしても
 全然気持ちが収まらないのは、
 「認めてもらっていない」「理解されていない」
 という、やるせない気持ちがあるからだと思う。



2008070501


他者と繋がる、
わかってもらっている、という感覚。


自分の中にたまっている感情の塊
(幼い頃、若い頃から抱き続け、
 長い間口に出すことが叶わず
 トラウマになっているようなもの)
を、吐き出した時、
真正面から受け止めてくれ
認めてもらえる相手を持つ。
それが病(特に癌)を退ける
「特効薬」だと俺は思う。
(「理解されている」「認められている」
 「必要とされている」と思うことで、
 人間の抗体システムは
 格段に強化されるそうである。
 以前のエントリー『枝の上の猿』にも
 深く通じる話だと思う)


「蟹の鋏」は、癌ではない。
自分の中で無視されたまま溜まり続けた感情だ。
感情には鋏がある。
それは臓器を苛み、刻む。


「孤独」という鋏を持った蟹が
父の肺にたくさんの癌の卵を産みつけた。
父は長い長い間、我慢して生きてきた人だと思う。
辛い気持ちを押し殺してきた人だと思う。
人はそれを強いと言うかもしれない。
偉いというかもしれない。
でも、強い人間なんて、この世にはいない。
無理しているのだ。
堪えているのだ。
たとえ、どこかの誰かに褒められたとしても、
押し殺してきた辛い気持ちは、
その人の中からは去ってはくれない。
それは無意識の水面下で蟹となり、
その人の体を食べてしまう。


我慢する。
怒りをのみ込む。
孤独に耐える。
泣かない。
頑張る。


この手のストイックさはすべて、
生体が生きていくことにおいては「毒」である。
こんな体に悪いスタイルを
社会から植え付けらていることに気づかず
昭和の男達は我慢し、飲み込み、泣かずに頑張り、
その感情を補填するために飲んで食べて吸いまくった。
そしてその結果、癌を患い、バタバタと死んでいった。


(平成の女たちは、まったく逆で
 「怒れ」「泣け」「堪えるな」
 「感情のままに欲望のままに衝動のままに生きるが美徳」
 「我慢しないで欲しいモノは欲しいといって手に入れろ」
 というスタイルを社会から押しつけられ
 お金の通り道にされてしまった。
 結果、逆説的にオヤジ化し、
 どんどん荒んで孤独になってる)



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生きることは循環だ。
入ってきたものは出すこと。
吐き出して表現すること。
どんなに認めがたいことであったとしても、
自分自身の心の動きを
丸ごと受け止め認めてやること。


  人は他人の心の中にあることを知らずとも
  不幸になることはほとんどない。
  だが、自分の心の動きを知らぬ者は
  必ずや不幸に陥る
                 (M.A.A)

_______________________


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倉本聰のドラマ「風のガーデン」で、
中井貴一演ずる末期癌を患う麻酔科医は、
10年に渡る家族との確執を乗り越え、
一家に痼っていた負の感情の塊を
再び結びつくための絆に変えて
感動のラストを迎えようとしている。


しかし
本当はそんなこと、
元気なうちにやるべきなのだ。


ハッと気がついたその時に
人は抑圧された感情と向き合い、
外に吐き出し、表現して、
誰かに伝えなければならない。
分かって欲しい人、認めて欲しい人、
そしてそう願う自分自身が、
蟹に無惨に喰い殺されて
いなくなってからでは遅いのである。


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2008年12月 7日 (日)

君が君の仕事を果たすにあたって



寒かろうと熱かろうと意に介すな。 また眠かろうと眠りが足りていようと人から悪く言われようとほめられようとまさに死に瀕していようと他のことをしていようとかまうな。 なぜなら死ぬということもまた人生の行為の一つだから。
ゆえに今、目の前のことを、よくやること。


君の覚えた小さな技術を慈しみ、その中に安らえ。


                       (M.A.A)

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ベストスコアが自分の真の姿であり、最も良かった時が自分の実力が発揮された時である、と多くの人が考えたがる。しかし、本当の実力はアベレージ(平均的な達成度)にある。ベストスコア、ハイスコアというのは、特別な事態、たまたまうまくいった時のことにすぎない。

                                                   (S.S.S)


はたらけ、じぶん。
てをうごかせ。

2008年12月 3日 (水)

Cancer's scissor・1



19



漫画とは関係ないエントリーばかりが
どんどん増えてくブログだけれど、
これでいいのだ。
今日も書く。
テーマは「癌」。
そして「感情」。


  ★ ★ ★ ★ ★


癌のことを英語でcancerという。
「蟹」のことである。
ギリシャ語由来であるこの言葉は、
皮膚癌にかかった患者の患部が、
蟹の甲羅のようにデコボコしていたことから
作られた言葉らしい。
調べて、今知った。
違うニュアンスで、今まで読んでた。


「蟹」のハサミで肉をちぎられてしまうように
 悲惨な痛みが伴う病気。


そういう意味だと思っていた。


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先日、「風のガーデン」をまとめ観した。
とても気合いの入った作品で、面白かった。


で、このドラマ、
家族に対する取り返しのつかない罪を負ったまま、
十年以上の絶縁生活を送ってきた
腕利きの麻酔科医・中井貴一が、ある日突然、
自分が末期癌で余命数ヶ月しかないことがわかり、
途切れたままの家族との絆を
再び結ぼうとする物語なんだけれど、
この主人公が重度の癌に冒されてしまうことは、
設定としてとても理にかなっていると俺は思う。


この麻酔科医が
痛切な感情を身の内に抱え、
それを吐き出して処理することなく
十年も生きてしまったからだ。


すべての病気の根源は、抑圧された感情にある。
特に癌は、そうだと思う。

__________________________________________


癌の原因は、大きく分けて3つだそうだ。


  ①生活習慣の乱れ
  ②食生活の乱れ
  ③ストレス


なるほどね、そりゃそうだ、
と、聞いた時は思うけれど、
この三つのことが、どうして癌発病の原因となるのか、
即答で説明できる人って、あんまりいない。
俺もできなかった。
なので調べた。


 ①も②も③も(特に③が)、
 人間の体の免疫力を弱めてしまう。
 その結果、その人の体の中で
 最も弱っている部位において、
 癌細胞が増殖する、


のだそうだ。


実は人間の体は、
約100万個の癌細胞を毎日作り出している。


(「細胞の突然変異によって生じ、
 患者を死に至らしめるまで、無限に増殖を続けていく」
 それが癌という病の定義だそうで、
 そう定義したのはウィルヒョウという
 19世紀ドイツの細胞学者で、
 それからずっとこの定義は書き換えられずに今に至り、
 この定義をベースにして、抗ガン剤や放射線治療などの
 「対処療法」が発達してきた。
 しかし21世紀になった現在、
 この定義に疑問を投げかける声が
 あちこちで上がり始めている。
 もしも癌が上記のような病気ならば、
 俺たちは生まれ落ちてからいくらもたたずに、
 癌細胞にのみ込まれて
 死んでいなければならないからだ。
 しかし現実には、
 末期癌と診断されたにも関わらず
 ケミカルな治療を自分の意思で断ったり、
 「おうちで家族と一緒に好きなことを」と言われて
 病院から見放された患者たちの中に、
 癌が治癒して長々と生きた実例がたくさんある。
 このことに対して医師たちは
 「医学では説明できない」「わかりません」としか
 コメントしない(というか、できない)。
 これらのことからも、
 西洋医学の癌に対する対処療法
 (切る・焼く・毒殺する)は、
 根本的に間違っているのではないかと俺は思う。
 もっというと、間違った認識のまま
 意図的に放置されているんじゃないか、
 と思っている。
 理由はメチャクチャ儲かるから。
 手術・放射線治療・抗ガン剤、という
 三本柱の対処療法によって展開される
 癌ビジネスの利権と、
 そこにつるむ癌保険の世界市場は
 とてつもなく巨大なものなんだけれど、
 とんでもなく脱線するので、
 この話はまた別の機会に)

100万個、と聞くと怖い感じがするけれど、
健康な心と体を持つ人、
つまり免疫システムが問題なく働いている人であれば、
抗体のひとつであるNK(ナチュラル・キラー)細胞が、
癌細胞を毎日毎日、10個くらいにまで減らしてくれる。

なので、全然問題ない。


けれども、


①生活習慣の乱れ
 → 人間の免疫システムの活動は、
   朝から夕方にかけて活性化し、
   夜になると半分までレベルが落ちてしまうらしい。
   なので、夜型の生活をしている人は、
   免疫力が落ちている可能性がある。


②食生活の乱れ
 → 特に肉食に言えることだけれど、
   消化するのにとても時間がかかり、
   内臓全体が疲れてしまう。
   さらに、すべての牛・豚・鶏は、
   屠殺される時に絶望的な恐怖を味わうので
   (当たり前である。
    赤い血が流れている全ての動物には感情がある)

   結果、ものすごい勢いで体内に活性酸素が生成される。
   全身の肉がいっせいに「癌化」しようとするのである。
   (その恐怖と絶望を和らげ、
    活性酸素を中和するために、
    アドレナリンが脳内で大量に生成されて、
    肉体の隅々までハイスピードで行き渡る。
    アドレナリン漬けになった肉は、
    とても「美味い」そうである。

    このことを知った時、俺は思わず吐きそうになった。
    動物たちが味わった
    全身が癌化するほどの恐怖のカケラを、
    美味い美味いといいながら、
    ずっと食べ続けてきたのだから)

   活性酸素は人間の免疫システムを
   著しく阻害する物質である。


③ストレス
 → 体内に大量の活性酸素を作り出す。
   免疫系が受けるダメージは、
   三つの中で最大かもしれない。


の上記三つを、毎日実践しちゃってる人は、
全体的に免疫力が低下していて、
NK細胞が毎日生まれてくる癌細胞を
しっかり処分できなくなる。
そうして生き延びた癌細胞は、
その人の一番弱い臓器やリンパで
ゆっくりと分裂して増えていき、
コンマミリ単位の小さな粒から、
数センチの腫瘍へと育つ。
そしてある日突然、
社内検診か何かで、それを知って本人が驚く。


というのが、
癌の発病に至る一般的な流れだろう。


さて、
いささか唐突な物言いだけれど、
こうしてここまで書いてみて、
改めて思うことがある。


「癌」は「風邪」とよく似ている。


(何言ってんだコイツ、と
 呆れられるかも知れないが、
 もうしばらく我慢して
 先を読み進めていただきたい)


病気として似ている、ということではなくて、
「病」としての定義付けと、
発症にいたる原因がとても似ている、
と、思うのである。


 医者にかかって、風邪にかかった原因を聞くと

 
 「生活習慣の乱れでしょう」 
 「暴飲暴食しましたね?」
 「仕事のストレスが出たんでしょう」


 みたいなことを、間違いなく言うと思う。 
 癌の三大原因、①②③とソックリである。


 そして、医者は続けて言うだろう。


 「無理せず安静にしていて下さい。
  暖かくして寝ていれば、治りますから」


 ・・・・


 寝てれば癌が治るのか?
 安静にしていれば、
 抗体が腫瘍を溶かすっつーのか?


 さすがにそこまでは言いません。
 言わないけれども、答えは限りなく
 「YES」に近いと思っている。


 風邪はせいぜい一週間単位のスパンで、
 発病/治癒を経過する。
 対して癌は数年、十数年、数十年間のスパンで
 発症/治癒(もしくは死)を経過する。


 一週間単位の風邪は、二、三日、安静にしていれば
 免疫システムが治してくれる。
 対して十年、数十年かけて、ゆっくりと育ってきた癌には、
 それにふさわしいだけの免疫システムの強化が
 必要なんじゃないだろうか、というふうに考えてます。
(十年寝てれば治ります、っていう話じゃないよcatface


というわけで、

「癌」って一体何なんだ?

ということを突き詰める前に

「風邪」って一体何なんだ?

ということを
もう少し掘り下げて考えてみることにする。
(あちこち話が飛ぶけれど、
 ここを通らないことには
 最後に言いたいことまでたどり着けない。
 なのでどうか御容赦を)

_____________________________________________________


日本の整体の基礎を築いた野口晴哉という人がいて、
この人の遺した本に「風邪の効用」というのがある。


     風邪の効用 (ちくま文庫)


「風邪というものは体の鈍りであって、
 鈍った体をしなやかな状態に戻すために、
 きちんと『経過』させてやらなければならない。
 せっかく風邪が硬く澱んだ全身をほぐして、
 整えようとしているのに、
 それを途中で薬をつかって無理矢理症状を
 押さえ込んでは、かえって体を痛めてしまう」



というのが、この本に書かれていることの核で、
もっとう言うと、


 「風邪は病気ではなく、
  人間の肉体に自然が施す整体である」


ということなんだろうと、俺は理解しています。


とすれば、
よく風邪をひく人は、癌にならないのか?
という疑問が浮かぶのだけれど、
その答えは、野口晴哉氏によると「YES」だそうだ。
(氏は「風邪は癌の特効薬」とすら言い切っている)


繰り返しになるけれど、
人間の体内では毎日100万個くらいの癌細胞が生まれていて、
それを日々NK細胞がプチプチ退治して回っている。
風邪をひくと、それにより拍車がかかる。
リンパ球、特にNK細胞が活発に活動をはじめ、
体内に入った雑菌と一緒に癌細胞まで
大掃除してしまうのだそうだ。
(また、風邪をよく引く人は、脳溢血にもならない、
 と野口氏は言う。
 風邪を引いて体内で治癒活動としての炎症が起こると、
 それをスムースに進めるためには、血管の拡張が必要で、
 末端の血管が拡張すると、血管壁にはりついていた
 コレステロールなどの油の塊が剥がれて流れる。
 詰まり気味だった血管が内側から掃除されることで、
 脳溢血や脳梗塞になりにくい体になるそうだ)


これはとても納得のいく話である。
風邪を引いたら薬を使わず、
汗をかきつつ、しっかり寝る。
そうして風邪が治ったあと、
体がリフレッシュしたような
一種独特の清々しさを味わった経験は、
誰にでもあると思う。
あのみずみずしい弾力感は、
薬の治療では得られない。
風邪が人間の備えた「整体力」であることは、
間違いないことのように思える。


ならば、
と、ここで医学のド素人である俺は
ド素人なりに考える。


癌っていうのは、
風邪を二、三度引いた程度では
仕切り直しがきかないほどに
弾力を無くし、血を澱ませ、
免疫力を低下させてしまった人間の肉体が
自らを浄化し、リフレッシュするために
風邪よりも数段上のレベルでセットしてくる
「整体行為」なのではないか、と。


(★注★ここに書いていることは、
    医学的なド素人である一漫画家の
    ごくごく私的な見解なので、
    「おかしなこと言うヤツがいるなあ」
    くらいの気持ちで
    気軽に読んでいただきたい。
    もし、ここに書かれていることに
    一片の真実を感じたとしても、
    どうかそのまま鵜呑みにせず、
    御自分で一度、調べてみることを
    お勧めします★)

_________________________________


長くなったので、今日はここまで。
次回は、
世間で「癌」と言われているものが
本当は一体何なのか、
考えてきて得た俺なりの答えと、
人を癌や癌に匹敵する大病に追い込んでいく
最大の原因であると思われる
「感情」というものとのつきあい方について
書いてみようと思っている。

2008年11月27日 (木)

紙を買う。



画材を買いに行ってきた。


Image533


ひさびさの新宿、ひさびさの青空。


デビュー以来、
長年愛用していた原稿用の紙が
「ディザインド」連載にあたって
まとめ買いしたあたりから、
何故か違うものになっていて、
その確認に、世○堂さんへ。
「KMKケントの一番重いヤツ」という
これまでのアバウトな注文の仕方が、
悪かったんだろうと思う。


店員さん、紙見本を沢山出したり、
来店していたメーカーさんに何度も確認取ったりして、
「今、俺が使ってる紙が、一体何なのか?」を
一生懸命調べてくれた。
それらしいものが見つかったので、
サンプル注文してみる。
(店員さん、ご苦労様でした)


Image534


買い物が終わって外を歩く。
通いまくってた三丁目の飲み屋街に行ってみた。
歓楽街を昼間歩くのは、何か楽しくて、好きである。

2008年11月20日 (木)

天然。



久々に漫画の話。


「アスリートで天然」という
キャラクター設定を考えていて、
実際にどんなひとがいるのかな、と思って
色々と調べてみたけれど、
行き着いたのはやっぱりこの人だった。





無敵ですね。


「ダッと入ってきて、バァーン!」みたいな、
擬音で子供達や選手達に指導しているんだけど、
それを天然とは俺は全然思わなくて、
考えてみたら「キリコ」や「クリオ」の頃、
アシスタントの人達に

「ギャッと来て、ダンとなって、ザーッって感じで」

などと、
擬音連発で作画や仕上げを指定していた自分を思い出し、
もしかしたら自分も天然だったのかもしれないことに
今さらながら気がついた。
(あのころのアシさんたち、
 ホントによくこちらの意図をくみ取ってくれたと思う。
 感謝してます)





おまけ。たけしと長嶋+馬場。

2008年11月18日 (火)

GET WILD 〜 十牛図のこと



引き続き、唐突だけど、十牛図の話。


たましいのこと―十牛図で考える人生


十牛図とは、
十枚の絵を使った禅の絵解きテキストです。
牛は動物的な本能、根源的な生命力であり、
人は俺たちが普段「自分」だと思っている、
表層意識の象徴。


自分の生き甲斐を探して
社会を彷徨っている若者が、
あるとき「牛」を発見し、
「牛」を追いかけ、捕まえようし、
その戦いに疲れ果て、
疲れたが故に「牛」と和合し、道連れとなり、
その交歓を楽しみながら歩を進め、
やがて「家」にたどり着く。
ここまでで十図のうちの、まだ七図。
終の棲家を手に入れた段階で
「人生は上がり」というのが
一般の感覚だと思うけれど、
禅における人生の展開は、この後まだ三図ある。
占星術研究家の松村潔氏は、
今の日本で十図目まで到達している人は、
ほとんどいないのではないか、と言っている。


「望む仕事が手に入らない」
「借金から逃れられない」
「人間関係のトラブルが続く」
そういうのは、才能とか、性格とか、
収入能力の問題の前に、
「人」と「牛」に象徴される、
心の葛藤に原因があったりする。

_____________________________________


さて、ついこの間まで、俺はこの絵の中にいた。


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漫画家としてデビューした時に、
このヘンは抜けたと思っていた。
でもそれは間違いだった。
作家になったことが、この絵の段階の始まりだった。
俺の「牛」くん
(どっちかっていうと「馬」かもしれない)は、
とても頑固で、言うことを聞かず、暴走ばかりしていた。
俺は「牛」くんに手を焼き、「牛」くんを責めた。
でも、裏の裏で、俺は「牛」くんの「共犯者」だった。
「すみません、ホント『牛』くん、わがままで」
みたいなことを人に対して言い訳し、
何もかも「牛」くんのせいにしながら
影では「牛」くんを応援していた。
突っ走れ、と思っていた。
ブッ壊せ、と思っていた。


人に迷惑かけたっていい、
お前はお前のままでいろ、
と。


とんでもないダブルバインドだ。
そして、
そんな自己欺瞞っぷりに
全く気がついていなかった。


葛藤っていうのは、欲望の深い人が、
「両方とも欲しい、欲しい」と
自分と世間に駄々こねてみせる
パフォーマンスなんだと思う。
そういう意味で、
俺はとても狡かったし、欲深かった。


でも、それも、いつかは終わる。
疲れてしまえば、人は飽きる。


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最近は多分、このあたり。
綱引きに疲れ、なのに、不思議と清々しい。
これまで関わっていたのとは
別の種類のエネルギーと
バイパスされる予感がする。
(視点の位置が、
 地上3メートルくらいに上がった感じ。
 自分で自分を見下ろしている気分)
こんなふうに感じるのは、きっと
この絵の入り口に立てている
証拠なんだろうと思う。
今、やっと、
「自分、自分」の時期が終わりかけてる。
やっと「牛」くんと一緒に
並んで歩いていけそうだ。


そして、十年後の目標は、ここ。


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もしかすると
この絵を実現するころには、
「人生の上がり」を
迎えてしまっているかもしれない(笑
それならそれはそれでいい。
きっと上等なんだろう。


「太陽」のカードとともに、
今のうち、と思って、メモしました。


2008年11月17日 (月)

Le soleil ~ 第三の場所



唐突だけど、タロットの話。
(今回のエントリーは、自分のためのメモ書きです。
 意味不明でしょうが、わかんなくても御容赦を)


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大アルカナ NO.19 太陽のカード


庭の中で二人の子供が遊んでいる。
空では太陽が燦々と輝いている。


この子供たちは、性質も性格も異なっている。
一人は訓練された社会的な役割の象徴で、
(親、教師、上司、部下など、職業や立場)
もう一人は本能的な感情・感性・欲望の象徴。
(未調整で未分化で未発達な幼い衝動)
この二人は絶対に相容れない。
放っておくと、どちらかが主導権を取ろうとして
権力争いが始まってしまう。


タイプの異なるふたつの意識が
否定し合うことなくお互いを認め合い、
目的の実現を目指して
力を合わせ、協力し合う・・・
次のカード「審判」を経て、
最後のカード「世界」に至るために、
一段高い視点を手に入れることを
太陽のカードは促している。


このカード、
しばらくの間、
自分のテーマになりそうだ。


90度の角度で交わる二つの意識が
主導権争いを繰り返し、
心が葛藤している状態が
何年もしつこく続いていた。
そのせいで、
何冊か本を描けるだけのエネルギーを
無自覚に浪費してきた。


「ディザインド」を描くチャンスを
与えてもらったおかげで、
そういう自分をハッキリと
自覚することができた。


要するに、
「仕事の依頼に全力で応えたい」
という自分と、
「湧き上がってくる衝動に
 どこまでも忠実に表現したい」
という自分は、
どちらも本性であり本体だということを
認めてやればいいんである。


片方を立てるために、
片方を犠牲にしてはいけないんである。


でも、理屈だけのみ込んで
「認めなきゃ」「協調しなきゃ」と
押していくのは逆効果。


今はただ、イメージすること。
二つのポイント(二人の自分)から
目的の場としての「第三のエリア」に、
(カードに描かれている太陽がそれに当たる。
 俺にとっては、出版社との関係、および、
 作品を作り出していく行為)
エネルギーが注ぎ込まれているビジョンを
思い浮かべるクセをつける。
言葉を使わないやり方で
意識の底に刷り込んでいく。


葛藤が無くなるだけで
思ったこと、望んだことが
実現するスピードが上がっていくはず。
(止まっている時間が激減するため)
その流れに乗っていこう。


2008年11月15日 (土)

思うところあって



平成ゴジラシリーズをぶっ通しで5本観る。


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2001年、2002年、2003年公開のものが、
面白くって驚いた。
特に2001年、2002年の二本!


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やー良かった。
グッときました。

2008年10月27日 (月)

ファースト・ゴジラ〜鎮魂の詩



仕事をしながらBGVに「ゴジラ」を観た。


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1954年制作の一番最初のモノクロ・ゴジラだ。
監督は黒澤明の助監督を長年務めた本多猪四郎。
出演は宝田明、平田昭彦、志村喬。
大学生の頃、テレビの深夜枠で観たきりで
内容をほとんど忘れていて、
どんな話だったっけ?
くらいの軽い気持ちで流していた。

驚きの物語だった。
そして、観終わった後、
とても悲しい気持ちになった。

(以下が、映画を観たレビューになります。
 特撮映画にあんまり詳しくないので
 間違ったことを書くかもしれませんが、
 その時は、どうか御容赦を)


_________________________________________


日本海溝の奥深くに生き残っていた恐竜が、
アメリカの水爆実験に被爆して巨大化し、
住み家を追われた怒りにまかせて
東京に上陸、蹂躙する。

核実験の放射能で異常な姿になった生物、
という使い古された設定も、
この時は斬新で、かつ、リアルだったのだ。


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1954年3月、
マーシャル諸島近海でアメリカが水爆実験を行い、
発生した死の灰を、
操業中の漁船・第五福竜丸の乗組員が被爆し、
その年のうちに一名が死亡した。
この事件をきっかけに
「ゴジラ」は企画されたという。

「核の落とし子」
「人間が生み出した絶対的な恐怖」
そのコンセプトはおそらく、
企画を通すためのキャッチーな建前だと思う。


二発の原爆で命を落とした、
何十万という日本人とその遺族たち、
そしてそのダメージを我がものとする
日本人全体の「痛み」と「怨念」。
それを実体化し、巨大化したもの。


俺の目には、ゴジラは、そう映った。


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制作スタッフはこの怪物を、
本当はアメリカに
上陸にさせたかったのではないだろうか?
そう勘ぐらずにはいられないほど、
夜の街に佇む「彼」の姿は
不気味で、禍々しく、
そして物悲しいのである。

「もののけ姫」ではないけれど、
ゴジラは「祟り神」そのものだ。
その証拠に「彼」が通りすぎた場所は、
ガイガーカウンターの針が振り切れるほどの
強烈な放射能で汚染される。
そこはもう、
人が住める場所では、なくなってしまうのだ。


_______________________


この怪物を「鎮魂」するのが
平田昭彦演ずる、悲運の科学者「芹沢博士」だ。


Serizawa


戦争で右目を失い、
心と体に深い傷を負って帰国し、
浮き世を離れて実験に打ち込み、
その課程で核兵器に匹敵する殺戮技術を
偶然にも作り出してしまう。

軍事利用されることを恐れ、ひた隠しにしていた
最終兵器「オキシジェン・デストロイヤー」を手に、
博士は東京湾の海底に潜り、
たった一人でゴジラと向き合う。


「荒ぶる神」も、
それを鎮魂する「人柱」も、
どちらも戦争の犠牲者である。
(そしてアメリカ軍は、最後まで登場しない)


たった一発きりの最終兵器を起動して、
博士は自らの命を絶つ。
(頭の中にある殺戮技術を、
 永久に消去するために)
そしてゴジラは断末魔の声を上げ、
のたうち、溶けて、白骨となる。

テレビ中継のレポーターが
高らかに勝利を叫ぶけれど、
成り行きを船の上で見守っていた人達は、
一様にうつむき、声もない。

志村喬演ずる生物学者の
「あれが最後の一匹だったとは思えない、
 水爆実験が続く限り、いつかまた・・・」
という沈鬱な呟きとともに、
作品は静かに幕となる。

__________________________________


「ゴジラ」という映画は
日本人の心の奥に棲む
敗戦の傷という「荒神」に捧げられた
鎮魂歌なのだと思う。


「先の戦争で亡くなった人達、
 核兵器によって命を奪われた人達よ、
 俺たちは未だに、
 核実験を止められずにいる。
 本当に不甲斐ない。
 すまないなあ、許してくれ」


戦場から還ってきて、
映画を作っている人達のやるせない想いが、
一時間半の映像に切々と綴られている・・・
そんな風に思えた作品だった。


まさかこの映画が後年、
夏休みや冬休みの
子供向けプログラム・ピクチャーとして
売れに売れまくる作品群を生み出す
出発点となるなんて・・・
関わったスタッフ達は、
夢にも思わなかったろうなぁ。


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(シッポを滑り台にして、息子と遊んでやるゴジラ・・・
 このヘンのは、ボンヤリ覚えてます)

2008年10月24日 (金)

才能よりも大切なこと



昨日、
行きつけだったバーの店長が店を辞めるということで、
新宿三丁目に出かけていき、久しぶりに酒を飲んだ。


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Bar SMOKE


飲んだのは、Evan Williamsの赤ラベル。


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美味しかった。
どんなに高価なスコッチやワインよりも、
舌と体に合っている酒。
とてもリラックスでき、本当に楽しい夜になった。

友人の店長は、かつて演劇の世界にいた人間で、
バーの店長として十分成功しているにもかかわらず、
その職を離れ、再び役者の世界を目指す、という決断をした。

勇気のいることだと思う。
心から成功を祈ります。
手伝えることがあれば、何でもするよ。

__________________


さて、その時に彼とした話を、
少し膨らませて書いてみる。


役者として眩しいほどの「才能」を持つ人がいるとして、
それだけでその人が成功する、とは限らない。
むしろ、思ったほど伸びることなく、
消えていく確率の方が高いのではないだろうか。

人はチャンスを恐れ、成功に怯える。
「商品」に加工されることで、
自分らしさが決定的に
損なわれてしまうかもしれないし、
スケジュールやノルマにがんじがらめにされて
自由を失ってしまうかもしれない。
「望むこと」とセットになってついてくる
「望まないこと」の大きなリスクを、
誰もが怖がり、決断に迷う。
損をしたくはないのである。


「場」に惜しみなく捧げない者に、 
「場」はチャンスを与えてくれない。


容姿が美しかったり、
知能指数が高かったり、
足が速かったり、高く飛べたり、
音感がとても良かったり、
そういうのは「才能」ではなくて、
親から貰った肉体的な「性能」なのだと俺は思う。

「性能」はただの道具だ。
カメラやペンや包丁と同じだ。
「いいカメラ持ってますね」と言われて嬉しくなるのは、
道具と自分の区別がつかなくなっているからで、
いざという時、カメラを守って
シャッターチャンスを逃がす者は、
決して「写真」と出逢えないし、
カメラマンになることもない。

そして肉体の老化とともに
「性能」が劣化し、衰えた時、
「才能」が枯れたと人は悲しむ。
でもそれは間違っている。


変質することも劣化することも、
恐れることなく素直に受け止め、
ただただ先に進もうとする
生命力に溢れた「人格」。
そういう人格にのみ宿る、
人の心を震わす「力」。
それが「才能」と呼ばれるものの
本質なんじゃないかと思う。


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まだ漫画家になる前に、
岡本太郎のドキュメンタリー番組を観たことがあって、
その中で太郎氏が
「自分自身の限界一杯、ひたすら孤独に爆発するんだ」
と、いうようなことを語っていた。
それに対してインタビュアーの女性が
(この人もアーティストだったと記憶している)、
「それは先生のように
 才能ある方にしか許されないことですよ。
 選ばれた人の言葉です」
と、妬ましさの滲む口調で返した。

この言葉に、太郎氏は激怒した。
あの表情は、本気で怒っていたと思う。


「才能が無いなら無いなりに、その限界を極めるんだよ!
 それが芸術家の使命だろう!?
 担保が無ければ、何にもする気がないのか、君は!?
 そんなヤツはダメだ、やめちまえ!」


その通りだと俺も思う。

(余談だけれど、
 岡本太郎氏の作品そのものに感動している日本人って、
 実はとっても少ないんじゃないだろうか。
 大多数の人が、作品よりも、氏の生き様そのものに
 強烈にアートを感じているように思う。
 少なくとも、俺はそうである)
__________________


「心の底で望んでいること」と
逃げずにまっすぐ向き合ったとき、
人は自分の中に埋め込まれている
「道しるべ」を発見する。
そしてそれが指し示す道を、
歩いて行かざるを得なくなる。
(これに逆らったり無視したりすると、
 病気になったり家庭生活が壊れたりして、
 自分自身から仕返しされる)

バーの店長を辞める彼は、
リスクを恐れず、道しるべ通り
正直に歩むことを決めたのだろう。
それだけでもう、成功は半分、約束されたと俺は思う。
後はもう、約束の地にたどり着くだけの「生命力」が
彼の中にあるかどうか。

もちろんそれは彼に限ったことではない。
俺もそうだし、貴方だってそうだし、
誰だってそうなのである。

的に向かって矢のように空を飛んでいこうとせず、
地の上を一歩一歩、踏みしめながら進むこと。


やめないこと。
あきらめないこと。
疑わないこと。
急がないこと。
自分に嘘をつかないこと。
自分の持ち物を愛すること。


帰り道、雨の新宿駅のホームに立ちながら、
何年か前、
自分を追い込み、
焦っていたことを思い出した。
今、手にしている仕事と、立てている場所が、
とても愛しく感じられた。

2008年10月 9日 (木)

メモ三題



今、原稿に、
というか、絵を描くことに
気持ちを取られてしまっていて、
「文章で何かを表現しよう」
という頭に、全然ならない。

だからしばらくここの記事も、
メモっぽいものになると思う。


・もののけ姫を観直す。


Photo_5


 こんなにも完成度の高い作品だったのか、と驚く。
 作画(特に人物の微妙な表情)、
 レイアウト、カットのつなぎ、
 どれもこれも絶妙である。
 10年前の公開時には、こんなふうには見えなかった。
 「ディザインド」に入ってから、
 アシスタントを使わず
 全部自分で絵を描いている。
 そのことと関係ある気がする。


・金融危機について。


Photo_2


 「ウォール街とネオコン連中は、
  見た目通りに、しくじった」
 「いや違う、今の状況すら
  あらかじめ仕組まれていたものだ、
  シナリオは依然進行中だ」
 見解は二つに分かれている。
 どっちなのか、まだわからない。
 素朴な疑問に、まだ答えが出ていない。

 金融ってのは「バクチ」なわけで、
 何兆ドルものお金をウォール街が「損」したのなら、
 世界市場という賭場の「胴元」は
 あそこのユ◎ヤ人達じゃないってことだ。

 もしも連中が「壺振り」に過ぎないのなら、
 「胴元」は、一体、どこの誰?
 
 この問いに
 自分の中で答えが出ないし、
 明確に答えている人もサイトも
 見つけることが、まだできない。
 なので今、起こってることに対して
 判断つかない状態です。


・緒方拳さんが亡くなった。
 好きな俳優の一人だった。


Photo_4


 肝臓癌の自宅療養を八年間続けていて、
 遺作となるドラマのロケを終え、
 五日後に命が尽きたそうだ。
 最後の仕事を終えた後、肝臓が破裂して入院した、
 という話を知って、涙が出た。

 知り合いに緒方さんと何度か共演している女優さんがいて、
 「どうだった?」と聞いたら
 「こだわりの強い人」
 というニュアンスのことを言っていた。
 納得の答えだった。
 偏見なんだけれど、
 個性の強い俳優さんは、
 女優の受けがあんまり良くない。
 身の内の「女性性」が強いからだ。
 そういう人は男から見て、色っぽいし、カッコイイ。

 カッコイイと思える男が、
 また一人居なくなってしまった。
 本当に残念です。

 御冥福を御祈りします。

2008年9月26日 (金)

男らしさ/女らしさ



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昼食の後に妻とした話。


女の人は、女っぽくなろうとして、
ものすごく男っぽくなってしまう。


男の人は、男っぽくなろうとして、
とても女っぽくなってしまう。


女らしさの方がマッチョ。
男らしさの方がナイーブ。


だから俺たちは、
異性という鏡に
自分の裏の性別を映し、
それに欲情し、それに憧れ、
それと合体することに「未来」を見ている。


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性のないアメーバですら、
定期的に他のアメーバと合体し、
身体の中身を互いに混ぜ合わせ、
より長く生きられるよう
「未来」を身の内に取り込んでいる。


_________________________________


恋とかオシャレとか自分みがきとか、
女らしさを強調している女性タレントは、
いつまでも結婚しない人が多い。
メスが極まってオスに反転し、
男性を弾いているんだろう。


お笑い芸人を中心に、
売れてる男のバラエティタレントの
未婚率・離婚率が高いのも、
同じ理由だと思う。
(メディアがそういう人達を前面に出すのは、
 スポンサー企業の商売が儲かるから)


陰極まれば陽となり、
陽極まるば陰となる。


女らしさが極まると、ガサツで凶暴なオバサンになり、
男らしさが極まると、ゲイやオカマやニューハーフになる。


しがみつくと荒むし、偏ると化ける。


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なので、
「ゆらぎ」のある方がいい。
女性性も男性性も、自分の中に豊富にあって、
それがつねに「ゆらいで」いる人、
「男」もしくは「女」という
片一方のセクシャリティで武装せず、
ありのままでリラックスしているひとは、
男も女も、色っぽい。


色っぽい方が、未来がある。


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    岡田史子/肩をだき首をかしげるヘルマプロディトス

2008年9月25日 (木)

午後の散歩



昨日の記事を読み返してみた。
あまりにも長文すぎて、
我ながらゲンナリした。

読んでくださった方、ゴメンナサイ。
これからは短めを心がけます。


  * * * * * *


原稿明けの疲れを散らしに、
近所の公園へ散歩に行った。


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ざわざわと風。ひらひらと光。


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後ろから駆けてきて、追い抜いていった女の子。


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何だか今日は、
街がとてもリラックスしている感じ。


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2008年9月24日 (水)

枝の上の猿



一昨日、担当編集者とアイデア出しのブレストをしていて思いつき、でも話しそびれてしまったことを、ちょっとここに書いておきます。


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 人間が人間として覚醒したのは、火や道具を使うことを覚えるよりも遙か以前、森の木の上で暮らしていた頃のことである、という文章を、少し前に読んだ。


 弱肉強食の過酷な地上世界を逃れて、まだ小さな猿の形をしていた俺たちの先祖は、森の木の上に昇って暮らした。必要にせまられて移住したそこは、意外なことに天国だった。彼らを襲って食べようとする天敵が存在しない。何かしら木の実が実っているから食べる物の心配もない。命の危険と食の欠乏から同時に解放された御先祖様は、ものすごくホッとして、木の枝の上でどんどん増えた。増えると群れが大きくなって、必然的にオスザル同士の縄張り争いが発生する。その戦いに負けた者や、障害を持って生まれたがゆえに群れを追われてしまった者は、ボスザルが支配するテリトリーを遠く離れ、森のすみっこの木の上で暮らした。そしてそこで、本能が混濁してしまった(つまり、頭がおかしくなった)。


 自分が生きていられる理由が、わからなくなってしまったのだ。


 過酷な地上世界で、猿のような弱い動物が、群れから離れて生きることは、それだけで死を意味する。弱者は儚く土に還る。それが自然から叩き込まれた絶対的なルールだった。
 なのに今、森の樹の上の豊かな世界で、間違いなく弱者である自分が、喰われることも喰いっぱぐれることもなく、変わらずに生きてここにいる。


 どういうこと?
 一体何が起こっているの?


 対応できないリアリティに襲われて、御先祖様たちの本能は壊れた(本能が壊れた、混濁した、と簡単に書いてしまっているけど、そういう状態のことを正確に言葉で表現するのは、ものすごく難しいと思う、というか、おそらく出来ないだろう。本能が混濁したまま生きているのが、人間にとって、ごくごく普通の状態だから。それでも無理矢理例えて言うなら、パソコンのOSがウィルスに犯されてしまって、デタラメな反応しかしなくなり、放っておくとシステムが完全に壊れてしまう、ヤバい、何とかしなければ、と、パソコン自体が考えて、必死で解決策をさがしている、ありえないことだけれど、そんな感じが近いのかもしれない)。壊れてしまった本能に変わるものなど、彼らの中には存在しない。自分自身の生を、間違いなく未来に向かって導いてくれる拠り所を、猿たちは永遠に失ってしまったのだ。


 その時彼らが感じた恐怖が
 どれほど凄まじいものだったか、
 ホモ・サピエンスとして安定しちゃってる俺たちには
 イメージすることすら不可能だろう。
 怖くて怖くて怖くて怖くて、
 それでも生き残っていくために、
 本能の代わりになりえる「何か」を、
 御先祖様たちは必死に探した。
 探して探して、探しまくって、


 そしてついに「他者」を見つけた。


 それは自分のすぐ隣りにいた。


 「自分だけじゃない。
  こんなに怖い思いをしているのは、
  世界で自分一人じゃないんだ!」



 恐怖が底無しだっただけに、
 その安心感・安堵感は、
 エクスタシー
 と言っていいものだったんじゃないかと思う。


 本能の代わりに
 圧倒的な快楽を与えてくれる
 「他者」を手に入れた猿たちは、
 「共感力」を生きるための支えとし、
 「自分」という副産物を引きずりながら、
 人類へと進化していった・・・。
 
__________________________________


 と、いうわけで、
 進化人類学の世界で
 この話がどういう扱いになっているのか、
 俺は知らないし、興味もない。


 ただ、
 人間の本質を、鋭く突いた話だと思う。


「共感力」を失うと、
 人は「他者」を見失う。
 そうすると「自分」も見失って、
 恐怖に捕らわれた猿に戻る、



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 それを実証するような出来事を、
 毎日のように俺たちは
 テレビのニュースで目撃している。

 
 秋葉原で惨劇を起こした男も子供の命を奪った変質者も親を殺す子供も子を殺す親も小さな動物を殺して撮ってネットに上げたりするバカも掲示板に殺人予告を書き込んで逮捕された大勢のヤツらも、そこに至るまでの経緯や事情こそ違え、基本的には、「恐怖で頭がパンパンになった猿」状態で、罪を犯してたんだと思う。
 だから逮捕され、メディアで晒し者になった連中の顔には、とてもよく似た表情が浮かんでいる。
 抜け殻のようにぐったりと疲れ切った顔の下に透けて見える、



 自分を捕まえ、罪を咎め、罰してくれる「他人」がいた。
 っていうことは、
 「自分」は今、生きて、ここにいるんだ。


 よかった、


 という、安堵の表情。

    *  *  *  *  *  *


 今の日本は資本制民主主義の着ぐるみをピッチリ着込んだ共産国家で、共産主義っていうのは、親子とか家族とか地域性とか民族とかを、もっとも小さな単位にまで解体し、「家畜」として管理できるよう作り替えてしまうってことで、つまり、この国で何となく流されるままに生きていると、「自分は孤独で、ひとりぼっちだ、世の中は何もかもウソくさい、こんな自分に(そして他人に)生きてる価値なんてホントにあるのか?」と思い詰めちゃうところまで、気がつかないうちにずるずると、連れて行かれてしまうってことだ。


死の恐怖を抱いている人は、かならず暴力というものから離れられないし、死の恐怖を抱いていない人を見つけ出すと、自分と同じにしないことには収まらないからです。


で、そういう人は、人は死後も生き残るということを信じている人がいるとしたら、全身全霊でそれを否定しにかかると思います。
「自分は死んだ時に、すべて失われて消える。あなたはそうではないと考えるのは絶対に許さない。あなたも生き残ってはいけない」そういう強制に近いです。


で、この思想は、結果的に、死の恐怖をピークにまで高めてしまう考え方だと思っている。たぶんそういう考え方が広がることと、自殺者が増加したことは連動していると思う。
死の恐怖を抱くと、
時間に迫られて、急がなくてはならないし、
最終的にはすべてつながっているという考えに行き着くことはないので、あらゆるものが孤立していて、だから何をするにしても、すさんでいる。危険な動物のように、ちょっとつつくと噛みつかれます。


構造の投影があらゆることに起こるので、死後はいないということと、個体の外に自分はいないというのは同じで、つまり自分は人に共感することも、また理解することもないということに行き着くです。

       (占星術研究家・松村潔氏の日記より)



人を存在の最小単位まで
切り分けて使おうとする今の社会では、
「恐怖の猿」に先祖返りする人なんか、
いくらだって出てくると思う。


だから、他人と関わる、
たとえ傷つくことになったとしても、
構わず前に出て関わっていく、
少なくともそういう思いを
クサらずに持ち続けていることが、
「猿」に先祖返りしたり
「家畜」にされたりしないために、
最低限必要なことなんだろう。
(本当はこんなの、当たり前のことなんだけれど)


ああこれは
「ディザインド」のテーマのひとつかもしれないな、
と、思ってしまったわけですね。


御先祖様が「他者」を発見したときのエクスタシー。
どんなだったか、すごく気になる。
描けるものなら、描いてみたい。


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2008年9月23日 (火)

TO BE REBORN



漫画家のブログでありながら、
漫画の記事がほとんどない。
自分の漫画にしか興味がないので、
今後もあんまり書く気ないです。


今日は、週末に見た夢の話。


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横浜、のような繁華街。
女の人(常磐貴子によく似た人、と思ったけれど、朝起きて画像検索してみると、ずいぶん印象が違っていた。もっと背が高く、ふくよかで、瞳の色が鳶色だった)と、連れだってバーへ行く。
デヴィッド・リンチの映画の中に出てくるようなバーである。長いカウンターが一直線に闇の中へ消えている。彼女と並んでそこに座る。
厚化粧のばあさんが彼女の隣りの席に座る。俺を見て何かブツブツ言う。俺のことが気にくわないらしい。
店が混んでくる。俺たちは席を詰める(スツールではなく、長椅子のようなものに座っている)。女の人の腿が俺の腿にぴったりくっつく。体温が伝わってくる。肌の匂いにドキドキする。
いいわよねえまったく、みたいなことを、大きな声でばあさんが言う。いつの間にか俺は、黒い学生服を着ている。


女の人とホテルに入る。
彼女について廊下を歩く。
クリーム色の壁に細いグリーンのスリット模様。木製のドアが狭い間隔でずっと奥まで並んでいる。床のリノリウムは血のようにねっとりと暗い赤色だ。
「こっちこっち」と彼女が言う。
俺の手を引き、壁を通り抜ける。
俺たちは部屋の中に入る。
部屋の真ん中にはテーブルがある。その横にバスローブを着た加藤茶が立っている。台本のようなものを真剣に見つめ、声に出して読み上げている。数学(物理学?)の数式を殴り書きした紙が、壁にびっしり貼りつけてある。
「この部屋は違うよ」と俺は言う。
言われて彼女も気づいたらしく、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、一生懸命、加藤茶にあやまる(加藤茶は返事をしない。台本を読み上げるのに必死なのだ)。
それから俺の手を引き、ふたたび壁を通り抜ける。


別の部屋。
正しい「俺たちの部屋」である。
作りは前の部屋と同じだけれど、装飾のテイストが全然違う。天井と床はライムグリーンで、壁は真っ黒に塗られていて、太陽と月と星の模様がびっしりと彫り込まれている(エジプトの神殿の装飾文字にとても良く似た印象だ)。


女の人が俺に近づく。


彼女の顔がせまってくる。
胸元が大きく開いている。
唇がゆっくりと動く。
優しい声で何か囁く。


気がつくと、
彼女の姿は消えている。
俺はその部屋を出る。
部屋にはドアがついていなくて、クランク型の通路を抜けると、そのまま廊下につながっている。廊下を歩くと、すぐに裏口の三和土に出る(この時、ホテルは、木造の旅館に変わっている)。引き戸には鍵がかかっていない。


「なんーだ、裏から出入り、自由じゃん」と思う。


三和土の横に小さな部屋がひとつある。俺は部屋の前に立つ。古い障子戸の真ん中に四角い磨りガラスがはまっていて、オレンジ色に光っている。俺はその光をじっと見つめる。そして、消えてしまった女の人が、古くから続く「娼婦」の血族に連なる者であることを知る。俺はその一族の、長い長い歴史に想いを馳せる。彼女の両親、祖父母、曾祖父母の顔をイメージする。


家に帰ると妻がいる(姿は見えない)。
玄関で靴を脱ぎ、下駄箱にしまおうとする。
下駄箱の中には、スライスされた生肉が盛られている。
ホテルの部屋から持ち帰ってきた「みやげ」である。
これを妻にあげよう、と思う。
出前寿司のプラスティック容器を持ってきて、手づかみで肉を移す。
「何の肉?」
 妻の声に俺は答える。
「わかんない。いろんな肉が入ってるよ」
両手で容器を持ちながら、板張りの廊下を静かに歩く。
肉の量が、さっきよりずっと増えている。


_______________________________________


なんというか、
レメディオス・バロの絵の中を、うろついてるみたいな感じだった。
この夢見てから、仕事の進みが早くなったよ。


2008年9月13日 (土)

おわびです。

ココログフリーのバージョンアップにともない、
送信されたコメントの確認方法が
ちょっと変わってしまっていて、
ここ数日の間、届いていたコメントに
全く気づいていませんでした。


頂いた方、ホントにゴメンなさい。


今後とも、
気軽にコメント入れてやってくださいね。


2008年9月12日 (金)

チバユウスケさん

十年間、手元にあって、再聴に耐え抜いてきた音楽。
その2。


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Thee Michelle Gun Elephant、
rosso、raven、
そしてbirthdayのアルバムを代表して。


ルビー・ザ・キッドの物語を想うとき、
いつもこの人のシャウトが聞こえてくる。


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バイクのエキゾーストとエンジンの咽せるような熱気、
そしてアメリカの赤茶けた荒野と真っ青な空のコントラストを
一瞬で思い起こさせてくれる。


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彼の音楽は、
俺のイメージの起爆剤です。











2008年9月 7日 (日)

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写真の写真でわかりにくいけど、足もとは崖。
UFOが映ってるのもあったよ。


2008年9月 3日 (水)

松田優作さん



松田優作 ALIVE -アンビバレンス- 公式海賊盤(仮) <初回限定BOX>/松田優作【エンタメP1206】

佐野さんと同じ時期に
この人にもハマった。
(元春好きで優作好き、って、どのくらいいるんだろう?)


探偵物語 VOL.2/松田優作[DVD]

工藤チャン、マネしました。
それっぽい映画も撮りました。
「蘇る金狼」「野獣死すべし」の長台詞、暗記しました。
大阪阿倍野で「ブラックレイン」が撮影されてると聞いて電車に飛び乗り、ロケ現場に駆けつけたけれど、彼の人の姿は無かった。
(背の低い二人組の外国人が歩道脇の屋台でドル紙幣を燃やしてるシーンの撮影だった。映るのは街角の一角、テレビでよくある狭いフレーム。なのに、巨大なアークライトを道沿いに何台も並べ、使いもしないスモークマシンまで用意するとは、さすがリドリー・スコット、いやハリウッド、乱暴に金を使うと思った。そして、演技をしていた二人の男がマイケル・ダグラスとアンディ・ガルシアだったってことは、映画を見るまで分からなかった。何度も何度もそこを通り、とうとうガンマイクに頭をぶつけた。俺原因のNGカットが絶対にあったと思う。リドリー監督ごめんなさい)


たった一度だけ、
御本人に、ちらっと接触したことがある。


京都の撮影所だった。
大学卒業前の俺は、そこに就職が決まっていて、挨拶に来ていた。紹介してくれた大学の講師の先生が、撮影所の中を案内してくれた。


深作欣二監督が「華の乱」を撮っていた。
そこを見学させてもらった。


スタジオに入って挨拶する。
セッティング中だった。
和室のセットの真ん中に、和服姿の艶やかな女性がいた。
池上季美子さんだった。
キューっと視線が吸い寄せられた。本当に綺麗だった。
三分ほど、お邪魔しただろうか。
先生が撮影が始まるので出ようという。
振り返った。
俺の後ろ、
スタジオの大扉の影の中で、
白い和服を着た大男がゆったりと椅子に座っていた。




目が合った。
固まった。
心臓がバクバク高鳴った。


ほんの数秒だったと思う。
先生に促され、俺はスタジオの外へ出た。
深呼吸した。
胸を撫で降ろしていた。


「優作さん!今書いてるシナリオ、読んでください!」


あと数秒で、
近寄ってそう言うところだった。
シュート前の現場のはりつめたテンションを
ブチ壊しにするところだった。


後で先生にきいたところ、
前日、優作さんはスタッフと軽くモメたらしい。
だから場の空気がピリついていたのだ。
優作さんの態度について
先生はよく思っていない様子だったけれど、
そういうトラブルを起こしがちなところすら、
当時の俺にとっては魅力だった。
うわさ通りだ、と思い、興奮した。



ブラック・レイン デジタル・リマスター版 ジャパン・スペシャル・コレクターズ・エディション

「ブラックレイン」を観たのは、東京だった。


その時俺は、京都の撮影所を離れ、
東京でフリーのADとして働いていた。
使えないADだった。
ミスばかりしていた。
現場で殴られたこともあった。
ダメはダメなりに、必死で仕事にかじりついた。


美術担当の人(だったと記憶している)とスタッフルームで、朝まで酒を飲んでいた時、優作さんの話になった。その人は「探偵物語」で美術を担当していた(と、記憶している)。
色んな話が聞けて楽しかった。


その頃俺は、仕事の合間にオリジナルのシナリオを書いていて、それをプロのシナリオライターの方(名前は伏せます)に見てもらっていた。東映セントラルアーツに縁のある人だった。セントラルアーツと言えば、優作さんが所属している制作会社だ。


近づいてる、と思った。


「松田優作に、俺のシナリオを読んでもらいたい。そして願わくば、優作主演で、それが映画になるといい・・・いや、なるようなものを書く。松田優作とアーツのプロデューサーが、俺の脚本を手にして、誰を監督にするか話し合っている・・・いつかそんな日が来ればいい・・・いいや、絶対に、実現させる!」


脳内ファンタジー炸裂である。
とっても恥ずかしい話だけれど、当時の俺は、本気でそう思っていたんだ。


この現場が終わったら、一ヶ月仕事休んで書きかけのシナリオを完成させよう。そしてそれを先輩のライターさんの所へ持っていこう。「アーツのプロデューサーに渡してもいい」と言われるまで、何十回だって書き直してやる!


ロケバスの中で妄想しながら、バカADは、ふつふつと野望をたぎらせていた。


その仕事が終わる前に、
優作さんは亡くなられた。


11月6日。
現場に向かうために早起きして駆け込んだ小田急線のホームのキオスクのラックに、


「松田優作、死す」


の文字が、大きく躍っていた。


信じられなかった。


しかも病死。


癌。


聞いてねーよ、
っつーか、どういうこと?


つい先月ハリウッド映画の中で、
健もダグラスもガルシアも富三郎も、
他の役者全員、喰いまくってたってのに!


まさに、


「何じゃコリャァ!!」


だった。


冬の朝の光が、まぶしくて目に痛かった。



10年たって、
漫画家になり、
キリコの連載が終了した。
俺は、単行本4冊とワインを持って、
久しぶりにお世話になったシナリオライター氏の事務所を訪ねた。
何年も無沙汰をしていたにもかかわらず、
先輩はとても暖かく迎えてくれた。

「おお、これ、あの時の企画書の話じゃねえか!
 偉いなー、ちゃんと形にしたんだなー」

キリコの単行本をパラパラと繰りながら、その人は喜んでくれた。
(キリコは二十代の初期に、映画のシナリオのプロットとして練っていた企画でした)


さらに数年後、
原案の仕事をさせてもらった「ジャンゴ!(「バンビーノ!」の、せきやてつじ氏デビュー作)」の映画化の企画が持ち上がったことがあって、その脚本の仕事がその先輩のところへ持ち込まれた時(この話もキリコ同様、実現には至らなかった。とても残念)、先輩がわざわざ電話をかけてきて、そのことを俺に知らせてくれた。
そして、話のついでに、こう言った。


「そういえば、この間、セントラルアーツに顔出したとき、プロデューサーの○○さんの机の上に、君の『キリコ』積んであったぞ」



電話を切って、俺はちょっと、泣きそうになった。


ああ、
届いたんだ。


でももう、あの人、いないんだよな。


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漫画のキャラクターを作るとき、
イメージに近い俳優の顔を参考にすることがある。
ボンヤリと抱いているイメージが、人の形、人の顔をして、そのまま歩いてるような俳優さんや女優さん(子役、若手、ベテランを問わず)が、たまにいて、「見つけた、この顔だ!」と思うことが時々あった。


最近はそういうことが全然ない。


見た瞬間、
延髄をわしづかみにされてしまうような、
魂がむき出しになった顔つきの人と
向き合い、目を合わせてみたい。



例えば、松田優作さんのような。


2008年8月31日 (日)

佐野元春さん

10年以上、手元にあって、再聴に耐え抜いてきた音楽。
その1。



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sweet16/佐野元春
(他のいくつかのアルバムを代表して)


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この人の音楽を知ったのは15才の夏。


高校三年間を使って、
1時間のアニメーション作品をたった一人で作ろうとしていて(無謀もいいとこ。知らないってことは恐ろしい)、頭の中はそのことでパンパン、残ったキャパは友達とバイクと女の子のことで占められていた。


音楽の入り込む隙なんて無かった。


ある日、同じクラスのヤツが
聞いたことのないフレーズを口ずさんでた。
「何それ?ヘンな歌」と笑った。
そいつがテープを貸してくれた。


 佐野元春/No Damage









佐野元春「NO DAMAGE」。


それでやられた。
虜になった。
ダビングして繰り返し聴いた。
歌詞を全部覚えてしまった。


同じ頃、
学園祭で先輩の撮った実写映画を見た俺は、


アニメーション制作の計画を放り出してバイトバイトバイトしてカメラと映写機を手に入れて所属していた美術部をやめて面白そうなヤツらを集めて映画同好会を立ち上げて部室と部費をゲットして受験を無視して授業をサボって絵コンテと撮影と編集にのめり込んで仲間といっしょに作品を撮りため三年の時の学園祭で上映会をブチかまして開場待ちの人の列が廊下の端までズラッと並んでプログラムを三回まわして三回とも立ち見が出て大トリのサスペンス映画のラストで最前列の女の子たちが肩を寄せ合い悲鳴を上げるのを映写機の後ろで見つめながら「映画の大学に行こう」「映画監督になろう」と本気で思ってしまったのだけれど、


そんな高校生活の間、
佐野さんの音楽はいつも俺のすぐそばにあって、
パワーとインスピレーションを
たくさんたくさん与えてくれた。


大阪の大学に進学して
京都の撮影所に就職して
東京でフリーのADになって
仕事の合間にシナリオを書いて
自分がなりたくて仕方ないものに
全てのエネルギーを注ぎ込んでいた
俺の二十代前半は、
とっても幸運なことに
佐野さんの絶頂期と重なっていた。


そのことに心から感謝している。



VISITORS
「VISITERS」


Cafe Bohemia
「カフェ・ボヘミア」


『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』 限定編集版(Limited Edition)(DVD付)
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」


「THE CIRCLE」
「SWEET16」
「フルーツ」・・・。


毎年のように発表される佐野さんの新譜は、
時に不安に押しつぶさそうな俺の心に勇気をくれ
時にダラけた俺のケツを力いっぱい蹴り飛ばして、
次のステップに足をかけ、踏み出していく力をくれた。


たくさんのCDを
持っていた時期もあったけれど、
時を経て、今、側にあるのは、
数人のミュージシャンの作った
十数枚のアルバムだけ。
その三割近くが佐野さんのものだ。


最近の佐野さんは高音域の声が出ない。
新曲の中にかつてのようなシャウトはない。


聞いた話だと、
ツアー中に喉を痛め、
それでも観客のために無理をして
声を振り絞ったせいだという。


それが事実なら、
本当に残念だ。


でも、佐野元春らしい、とも思う。


再デビュー中の今、
仕事中に佐野さんの曲を良く聴いている。
そして、十代の終わりから二十代前半にかけての気分

(アスファルトの焼けた夏の道を400ccのバイクに跨り
 フルスロットルのアクセルでブッ飛ばしていくような)

を、強く思い出している。




夢を見た 昨夜のこと
ブルーな夢 But it's all right
電話してほしい 見知らぬ夜
誰かの声がききたい

冷たいニュース 今朝のこと
テーブルの上にはチーズ&ワイン
平和もない 静けさもない
笑い飛ばせるほど無邪気じゃない

いつもほんとに欲しいものが
手に入れられない
あいかわらず今夜も口ずさむのさ
99blues 99blues


誰もいない 地下鉄のプラットホーム
かかえこまれそうなエモーション
彼女のbody 彼女のvoice
去年の夏がなつかしい

愛してる愛してる愛してる
誰もがたやすく口にする
すてきなビジネスのセクシャリティ
街の子供たちは眠れない

いつもほんとに欲しいものが
手に入れられない
あいかわらず今夜も口ずさむのさ
99blues 99blues

全てはmoney この街はfunny
いつも悩ませる
大切なキャッシュカード クレジットカード
永遠に夢は買えない

得意げな顔したこの街のリーダー
シナリオのチェックに忙しい
ユーモアもない 真実もない
フェイクしたスマイルはとても淋しい
フェイクしたスタイルはとても淋しい

いつもほんとに欲しいものが手に入れられない
あいかわらず今夜も口ずさむのさ
99blues 99blues


この街のルール この国のルール
家庭のルール 教室のルール
一つの形じゃ踊れない
このままじゃはみ出してしまいそうさ

夢を見た 昨夜のこと
ブルーな夢 But it's all right
電話してほしい 見知らぬ夜
誰かの声がききたい

いつもほんとに欲しいものが手に入れられない
あいかわらず今夜も口ずさむのさ
99blues 99blues


        99blues /作詞・作曲 佐野元春



佐野さんの作る音楽は、餌じゃない。


そういうものを
できるなら俺も作っていきたい。

あらしのあとのあおぞら

爆撃みたいな雷も
亜熱帯っぽいスコールも
いいかげんもう飽きた。
そう思って寝た。


眠ってるときの空。


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嵐の後の青空。


2008年8月29日 (金)

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ポニョの「嵐の海」を見てから、
胸のあたりがずっとこんな感じ。


暗い水がのど元まで
溢れてきてる。
ざわざわ騒ぐ。


外はまた激しいスコール。


すごく大きな雷が落ちた。
妻と猫が飛び起きてきた。


2008年8月24日 (日)

地下ビール

雨の午後。


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黒ビール。
美味かったっス、馬越社長。


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2008年8月23日 (土)

鏡を抱く

とある掲示板での出来事がきっかけで
立ち上げることになったブログだけど、
書き出すと思いのほか楽しくて
もうけっこうな記事を上げてる。
自分でも意外。
どうやら性に合ってるらしい。


で、また
ああ、と思ったことを書く。



ネットではもちろん現実の世界でも、
不意打ちで誰かから
思わぬアタックを受けることがあって、
それで怒ったり不愉快になる前に
とても驚いてしまうのだけれど、
それは多分その相手が、
自分の分身(半身?)みたいな
ものだからじゃないかと思う。


強い感情を身のうちに宿して、
それを抑圧していたり
気づいてるのに知らんぷりしてると、
思わぬ人や出来事の形で
自分の『影』がやってくる。


「俺はお前だ、よく見ろ」と言う。


エネルギーがどんどん降りてきて
身も心もパンパンなのに
部屋から出られず持て余していた俺に、
あれはふさわしい出来事だった。


本当の意味で、
人は他人を見ることはできない。
見ているつもりで鏡にしてる。
だから人を見て言うことは実はすべて自分のことで、
悪意を込めて放った言葉はぜんぶ自分に刺さるんだ。


名前も無ければ体も無い、
自分と他人の境界線が溶けて重なるネットの世界で、
そういう構造はエスカレートして
やりとりするだけドツボにはまる。


どんなに叩いても影は自分。


だったら痛い思いして、
抱きしめるしかねぇじゃねえか?



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キリコを描いてた頃から
俺はなーんにも変わってない。
ジジイになるまでこのまんま(笑


と、
いうわけでこれからも
ブログを続けていきますね。


2008年8月21日 (木)

望み通りに生きる、ということ



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 占星術研究家・松村潔氏の日記に、興味深い下りがあったので、抜粋して貼らせていただきます。(特に転載・使用禁止のコメントがなかったので。問題あるようでしたら、御本人、及び関係者の方、申し訳ありませんが御一報下さい。すぐに削除致します)


 願望実現というのは、ある好ましい思考の結果が、この三次元領域という、非常に狭い視野の空間の中に、入り込んでくるという意味なのです。

 たとえば、お金が欲しいという願望を実現する場合、お金のあるわたし、というイメージが、この三次元空間の中に持ち込まれると良いわけです。お金が欲しいと思っている人が、それでも現実にお金が入らず、願望が実現できないのは、このお金のあるわたしという思考が作り出したイメージが、三次元の中に持ち込まれることを、三次元的なわたしが妨害しています。


 欲しいと言いつつ、入れたくないと言ってるのです。
 それをしてしまうと、いままでの自分が損なわれてしまうと思っています。


 三次元の世界での考え方で、何かお金のあるわたしというのが、今の自分のアイデンティティとぶつかっていて、お金のあるわたしというイメージの優先順位が低くなっていて、後回しになってしまうわけです。
つまり、自分のいままでのありかたが最高であって、それ以外はあまり価値がないと感じているということです。


 疑う人は変えたくないので、願望は実現されない。
 それはその人の望んだように、実現されていないという意味です。


 いずれにしても思っただけで、何か起きてしまう人というのはたくさんいます。
 まさかと疑う人は多いけど、疑う人は、思っただけで何か起きてしまうということを、そうならないように疑うことで頑張って阻止しているということでしょう。



 つまり欲しい人には手に入りにくく、
 あまりこだわっていない人には容易に手に入りやすい。


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2008年8月20日 (水)

後藤繁雄さんの本

 十年以上、手元にあって、再読に耐え抜いてきた本。
 その一。



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 『独特對談』
 後藤繁雄・著



 漫画家になったばかりの頃に手に入れた。


 デザイナー、編集者、大学講師と、様々な顔を持つ後藤繁雄さん。YMOのアルバムジャケットやアラーキーの写真集など、興味深いデザインの仕事を沢山されている方だけれど、それ以上にこの方は、


  『インタビューの達人』


 である。


 言葉を疑う思想家、古美術商を営むカメラマン、「サヨナラ、サヨナラ」の映画評論家、花になりきろうとする華道家、死地から帰還した元ボクサーの俳優、孤独に爆発する芸術家、昆虫学者ファーブルの孫、亡命中の小説家、孤高の三味線弾き、漫画にのめり込む建築家、曲馬団の団長、紀伊の山奥で炭を焼く詩人、荒れ地の詩人、全身芸人、世界を翔る淡路島の左官屋、ショパンを弾く遺伝学者、『記憶』を撮り続ける映像作家・・・。


 新書版の文字数にして一人あたり8ページ。その短い文章の中で、後藤さんは独特の人生を生きる人々と真摯に向き合い、問いかけ、その本質に迫ろうとする。そこには沢山の生きるための『気づき』があって、読み返せば読み返すだけ、キラリと光る欠片が見つかる。



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 『独特老人』
 後藤繁雄・著


 さらに後藤さんは、唯一無二の人生を送ってきた先達たちに会いに行き、己の死を予感しながらなおも新しく咲こうとする『人生の絶景』と対峙する。


森敦(作家)、植谷雄高(作家)、伊福部昭(作曲家)、升田幸三(棋士)、永田耕衣(俳人)、流 政之(彫刻家)、山田風太郎(作家)、悌 明秀(経済哲学者)、淀川長治(映画評論家)、大野一雄(舞踏家)、杉浦明平(作家)、下村寅太郎(哲学者)、杉浦 茂(漫画家)、須田剋太(画家)、安東次男(詩人・俳人)、亀倉雄策(アートディレクター)、細川護貞(文人)、水木しげる(漫画家)、久野収(哲学者)、芹沢光治良(作家)、植田正治(写真家)、堀田善衛(作家)、多田侑史(裏千家執事)、宮川一夫(映画キャメラマン)、中村真一郎(作家)、沼 正三(作家)、吉本隆明(詩人・評論家)、鶴見俊輔(哲学者)


 素晴らしくも凄まじい人達である。


 この本を手に取り、初めて名前を知った方もいれば、大学生の頃、講師としてお会いした方もいる。


 後藤さんという聞き手を通して、これだけの人々と、まるで近所のオモロいじいちゃんと話すがごとくに出会えたことは、漫画家になったばかりの俺にとって、とても幸せな体験だった。


 「彼らは誰かに喋らずにはいられない。たった今見いだした世界の秘密についての発見を、とにかく色あせないうちに、消失しない間に、誰かに話さなければならない。人生は短く、芸術は長い。これが自分だけの思想であるなどという、けちなことは言っておれない。どこの馬の骨ともわからぬ僕に、彼らはびっくりするようなことを言い始める。独特の人は、独走の人でもある」(まえがき「小僧の幸せ」より引用)


 「こんな生き方があったのか」
 「こんな風に生きられるんだ」


 舐めるように読んだ二冊。
 本の形をした宝物である。


2008年8月19日 (火)

へっぽこオーガニック

 濾過した水を使うようになって、米を七分づきに変えたら、野菜がとても美味しくなって、肉が食べたくなくなった。トンカツ・焼肉・ステーキ・唐揚げその他一切の肉料理を、六月の頭から食べていない。
 いっそ米を五分づきにして、マドンナみたく100パーセントのオーガニック生活やったろかい、なんてことを思っていたら、二週間にいっぺんくらい強烈な禁断症状が出て、油モノをガツガツ食べたくなる。


 肉、じゃなくって、油、なのだ。


 舌はもう血の味を受け付けないのに、胃袋が焼けた油の旨味に飢えてしまう。そうなるともう仕事も何も手に着かなくて、薬の切れた中毒患者みたいにウロウロイライラ落ち着かない。


 酒や煙草とは、
 スパッと縁が切れたっていうのに。
 食の『業』ってホントに深い。


 油喰いたい、肉はヤダ・・・
 ああ困った、どうしよう・・・


 で、見つけたのが、コレ。


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『瞠(みはる)』のラーメン。


 濃厚で苦みのある鰹のスープ。
 コクと旨味のある強い油。
 2センチ幅の巨大シナチク。
 バーナーで灼いて血の味を飛ばしたチャーシュー。
 矢吹丈の右フック(古!)のごとく、
 ドスンとボディに食い込む一杯。


 喰ったら、発作、治まりました。
 今朝の朝食は野菜とおしんこ。
 んー。ヘルシー。


 
 禁断症状出たら、また走ろう。

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(ディザインド 二章 第五話)


2008年8月 5日 (火)

外はスコール

叩きつけるような、雨と雷。


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(ディザインド 2章 第4回)

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